いろんな出来事があって、今日はブルーです
こんにちは。
てらぴーだよ。
桜満開の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
3月もあと二日、というか実質あと1日って感じでしょうか。
手帳では「次の日」なのに、3月31日と4月1日には、断層があるみたいです。
時間の流れと自分の成長を、どのように捉えていけばいいのでしょう。
齢は重ねてきたはずなのに、成長の跡が見られないと、ともすればネガティブに考えてしまう。
孫悟空が、いくら遠くに行ったつもりでも、お釈迦様の手のひらから出られなかったみたいに、同じようなところをぐるぐると回ってきただけかもしれません。
とはいえ、何事にもプラスとマイナスはつきものなのでしょう。
そのどちらに焦点を当てるのか、そんなゲームをしているのかもしれません。
どんな苦境に陥っても、「やった、そう簡単には味わえない貴重な経験ができるぞ」と捉えることも、可能なのでしょう。
そうした楽観的な考え方や受け取り方は、でも、どうしたら身につくのでしょうか。
生まれつきのものなのか、トレーニングのたまものなのか。
どちらにせよ、プラスにとらえてもマイナスと受け取っても、そのこと自体は変わらないのでしょう。
例えば、借金を100万円背負ってしまって、「しっかり働くことができる」と捉えても「明日から生活費を切り詰めないと」と考えても、「借金100万円」は変わりません。
だから、考え方次第だ、というのは、頭では分かっていても、それで気分が晴れるかと言えばそうでもない自分がいる。
スキップしながら「うつ」になる人はいないとばかりに、動作を明るく快活にしてたこともありましたけど、リバウンドというのでしょうか、反動がすごかった。
最近では、もう、なるようにしかならないと、余計な小細工は使わないで、ただそのまま眺めています。
とはいえ、気にはなるのですけれども。
ノートに書き出しても、毎回同じことばかりで、進歩のなさを確認しているみたい。
「自分の人生が音を立てて変わっていった」という人を何人か知っているのですが、自分にはまだ訪れてはいないようです。
気づいていないだけなのかもしれない。
「こんな自分になりたい」というのは、「今の自分の否定だからよろしくない」と言われても、でも嫌なものは嫌だったりする。
自己嫌悪は底なし沼のようで、「ここが底だから蹴って上がればいい」と教わったけど、底には底がまだ続いてましたとさ。
マイナスを否定するのではなく、手なずけるともいうけれど、マイナスは思いのほか広がって、自分を包み込んでしまう。
年度が替われば、流れも変わるかな?(他力本願)