どうして人は、手帳やノートをパラパラしてしまうのか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

冬並みの防寒でも凍える寒さの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

ゴールデンウィークですが、コロナは休みません。

 

本当に限られた人としか接しないようにしないといけないレベルです。

 

ウイルスも変異してるし、若いから大丈夫とは言えないようです。

 

なので、人の大勢集まるところには、自然と足を向けにくくなってます。

 

本当は、気軽に雑貨屋さんにでも行って、手帳やノートを見て回りたいのに。

 

人が触ったものにも、気を使わないといけない。

 

図書館でも、「一度手に取って閲覧した書籍はこちらに」というコーナーもできてます。

 

後で消毒するのでしょう。

 

雑貨や文房具は、やはり手に取って、その感触を楽しみたい。

 

手に持った時にどうなるのか、実際に手にしないと分かりません。

 

手帳やノートの類は、たいていそのまま見ているだけではなしに、手に取って、パラパラしますよね。

 

片手で持って、片手でパラパラ。

 

でも、なぜ人は、紙が集まったものを、ああやってパラパラするのでしょう。

 

製本の具合を確かめたいから?

 

どれだけなめらかにパラパラできるか試している?

 

この前、ものすごい速さで手帳をパラパラしている人を見ました。

 

あの速さでは、中身がどうなのか見えないと思いました。

 

それぐらい早い。

 

中味がどうなっているのかを確認したいのなら、任意のページを開けば済む話です。

 

パラパラする必要はない。

 

むしろ、パラパラすることで、中のレイアウトとかは見えなくなります。

 

すると、あの行為は、中身の確認ではなさそうです。

 

まるで、パラパラ漫画を見ていますといった風情で、手帳全体を丸くして、パラパラするのです。

 

パラパラの具合で、紙質がどうだとかが感じられるのでしょうか?

 

パラパラする時に手に感じる紙のめくれ具合で、紙の質感が伝わってくる。

 

重い紙だとか、軽い紙だとか、あるいは、薄い紙だとか。

 

もしかしたら、自分にとっての最適なパラパラ具合というものが、あるのかもしれません。

 

手や指に伝わる、紙が集まってパラパラする時の抵抗感、あるいは重量感、そんなものを確かめているのでしょうか?

 

あまりにも薄い紙だと、数枚時には数十枚がいっぺんにめくれてしまい、パラパラが規則正しく流れないこともありましょう。

 

一枚一枚が、同じ速さでめくれていくからこそ、なめらかなパラパラになるのです。

 

中味がどうなっているのか、どんなレイアウトなのか、それもまた、手帳やノートを選ぶときの重要なポイントですが、パラパラしてみての感触といった事柄も、案外使い勝手に影響して、したがって、選ぶ基準となっているのかもしれません。

 

紙というものが、さまざまな技法で一冊のカタマリになった時に、両手を使ってパラパラしてみるその感触もまた、紙の持つクオリアなのでしょう。

 

ああ、店頭で、思いっきりパラパラして回りたい(迷惑)。

コロナの時代だから、「ウイッシュリスト」を書こう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ゴールデンウィーク真っ只中の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

ゴールデンウィークの後すぐに、ある人と会う約束をしていたのですが、すぐに返信が来て、気がつかなかったので留守電でした。

 

で、その留守電の中身というのが、

 

ゴールデンウィーク中に県外に行かれますか?

 

もし旅行などで県外に行かれるのなら、その後すぐにはお会いしたくないので、日数をあけてください」

 

というものでした。

 

おお、そういう時代なのだね。

 

いったいいつまで続くのだろう、ということをもう何度口にしたことだろう?

 

その人の心配は、まったく正当なのだ。

 

我々は、つまりはそういう時代に生きている。

 

今回の、コロナ禍が終息しても、また次のパンデミックが数年後か数十年後かに必ずやってくる、という専門家の見通しをネットで見ました。

 

感染の心配なく、人に会ったり旅行に行ったり、握手したりハグしたりしてた、あの頃は幻だったのでしょうか?

 

今じゃ、どこでもパーテーションで区切られてるし、マスクは必需品だし。

 

数日前、外出中にいきなりの土砂降りにわか雨で、久しぶりに全身ずぶぬれになって、でも用事があったのでそのままの格好で、とあるお役所の窓口に出向いたら、担当の方にこう言われました。

 

「マスクはお持ちではないのですか?」

 

ああ、すみません、あまりの土砂降りで、マスクをつけるのを忘れてました、でも着眼点そこ?とは思ったけど、静かにポケットから、これもまたずぶ濡れのマスクを出しましたとさ。

 

そんな時代です。

 

「好きなことをしたらいい」なんて物言いが流行ってはおりますけれども、いくら個人で自由にやりたいことを思いっきり、と思っても、時代の制約とか、社会の規範とか、立ちはだかる壁も多うございます。

 

それでも懲りずに、「ウイッシュリスト」を書いたりしております。

 

コロナ以前は、あちこち旅行したいなんてことが、「死ぬまでにしたいこと」に必ず含まれてましたけど、今ではそうした、移動に関することは、すぐには回復しないのではないか、と思い、あそこに行きたいあれを見てみたい、といった願望は影を潜めてきました。

 

5月の後半に、東京で演劇を見たかったのですけど、この分では我慢でしょう。

 

1986年あたりに旗揚げした、アングラの劇団なんですけどね。

 

水族館劇場

 

その名の通り、水をふんだんに使ったスペクタクルな演出がすごい。

 

座長さんも役者さんも、多くは高齢なので、毎年、今年が見納めかも、と思っております。

 

手帳の最後のメモページとか、専用のノートなどに、「ウイッシュリスト」を書く人も多いと思います。

 

僕も、長期にわたる事柄には、専用のノートを用意しています。

 

それとは別の、今日とか今週、あるいは今月にしたいことなどは、主に「野帳」に書いてます。

 

「行きたい」ところ、といっても金沢市内か近郊に限られますが、自分の、定期的に徘徊したいエリアというのが幾つかあるので、それをピックアップすることが多いです。

 

紙に書き出すと、どこかで脳に残り、「しなければいけない」「忘れるな」「あれがまだだ」といったふうに、自分に指令を出すようです。

 

結果として、忘れずに実行できるのです。

 

今日も「野帳」を取り出して、エリア別に最近ご無沙汰で、そろそろ行きたい場所を書き出しました。

 

そして、ウィークリーの「空き時間」を見ながら計画を立てるのです。

 

移動手段が自転車なので、お天気に左右されてしまいますけど、「行こう」と思ってイメージしているだけでも、こんな時代の慰めになったりしてます。

 

思いっきり、紙を買いに行きたい。

月末、ひと月を総括しよう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

月末の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日と今月1ヵ月を丁寧に振り返りましょう。

 

4月が終わろうとしています。

 

2021年の3分の1が過ぎようとしているのです、と聞いて、「えっ、まだそれだけ?」と思うでしょうか?それとも、「えっ、もうそんなに?」と感じるでしょうか?

 

時計が刻む時間は同じように見えて、その進み具合には、個人的な感情が反映するのかもしれません。

 

1日や1週間の振り返りなら、全体を俯瞰できましょうけど、1ヵ月ともなると、どこからどう振り返ればいいのか、思案に暮れてしまいませんか?

 

4月1日に何を考えていたのかなんて、もう宇宙の果てに飛んでますから。

 

果たしてどれだけ成長できたのか、せめてはその指標を何かしら持ちたいものです。

 

「よく頑張った」とか「なかなか良かった」とか「意外とできなかった」といった、あいまいな言い方ではなくて、数字で表されるものがいいですかね。

 

例えば体重とか血圧とか、体脂肪率といった、今ではご家庭でも測れる数値でもいいでしょう。

 

読んだ本の冊数とか。

 

あるいは、図書館に行った日数でもいいかと。

 

カフェに入った回数でもいいし、何回外食したのかをカウントしてもいいかもしれません。

 

月1で行っていることではなしに、月に何度も繰り返していること、そしてその回数が増えたりすることが、あるいは逆に減ることが、自分らしいと思えるようなこと、そんなことをちょいと数えてみてはいかがでしょう。

 

僕は、ミスドやカフェに行くので、月ごとにそしてお店ごとに、回数を数えて、マンスリー記録しています。

 

ミスドと倉式珈琲は月に複数回いくのでそれぞれカウントし、それ以外のお店は「その他」で数えてます。

 

自分の心の元気さの、一つのバロメーターになっていると思います。

 

文具屋、書店、雑貨屋に関しては、そんなに頻繁ではないので、ウィークリーには記録しますが、何回行ったのかは数えてなかったですね。

 

ダイソーやセリアと合わせて、これから詳しく記録してみようと、今思いました。

 

100均や無印は、ちょいと立ち寄って、でも何も買わずに見るだけのことも多いので、あんまり丁寧に記録はしてこなかったんですよね。

 

自分の生活が、どんな傾向なのか、しっかりコントロールできているのか、流されているのか、ひと月経てばおおよその傾向は分かってくるでしょう。

 

来月も、この調子、流れでいいのか、それともここいらで違う方向にかじを切るのか。

 

言うまでもなく、自分の体は日々食べているもので成り立っています。

 

1日分の影響はごく僅かであっても、1ヵ月ある傾向が続くと、体重や脂肪率、血圧などに影響してくるでしょう。

 

同じように、1ヵ月どんな本を読んでいたのか、誰の意見に接することが多かったのか、そうした積み重ねが、自分の思考の癖を築いていきます。

 

その方向は、自分にとってふさわしいベクトルであるのか、迷いがあるのか、それとも道を踏み外すようなことになってはいないか。

 

検証してみることも必要でしょう。

 

それから、心。

 

穏やかに、健やかに物事を捉えられているのか、不安や心配に左右されてはいないか。

 

知らない間に怒りっぽくなってはいないか。

 

自分の感情なので、どんなに破壊的で邪な気持ちを持ったとしても、「だって、あんなことがあったら(あんなことを言われたら、あんなことをされたら)、こんな気持ちになっても仕方がない」と、相手のせいにすることで、正当化してしまいがちです。

 

そうならないように、感情の動きにも目配りが必要でしょう。

 

それでも、僕もウィークリーを開けば、怒りに任せて半日1日を台無しにした日もありますし、くよくよして、やはり半日1日何もできなかった時もあるのです。

 

にんげんだもの(みつお)

 

まあ、でも、少ないほうがいいでしょうし、このままでいいとは思ってません。

 

そうしたひと月の振り返りも、来月に向けて、大切な区切りのつけ方となるでしょう。

 

マンスリーに、スマイルマークを描こうかな。

 

今日の出来事のすべては過去の結果、ならば明日からは?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨でその分寒くなった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

感染拡大中のゴールデンウィーク

 

このままだと、2年連続で「百万石まつり」が中止になるみたいです。

 

インドも大変みたいだし、いったいどうなってしまうのだろうという不安を、もう何度繰り返したか分かりません。

 

自分と向き合う時間はもういいから、友人たちと気軽に集まって、ハグなんか交わしたい。

 

コロナ前は、気の置けない友人たちと、会ってはハグ、帰り際にもハグ、だったのに。

 

スキンシップといいますが、生活から奪われましたね。

 

せめてはお気に入りの紙類と、戯れることといたしましょうか?

 

ビジネスユースに変身した、コクヨの『測量野帳』「スケッチブック」ですが、実物はまだ見てません。

 

在宅ワークが増えた影響で、紙の手帳の人気も上がっているらしいです。

 

でも実際の売り場を見ていると、4月始まりの手帳が今一つ盛り上がってないような印象を受けました。

 

いつも覗く雑貨屋さんでは、売り場そのものが縮小してた感じです。

 

まだまだスケジュール管理だけに使っているのでしょうか?

 

それとも、手帳はスケジュール管理だけにして、別にノートを用紙して、日々の気づきなんかはノートに書いているのでしょうか。

 

毎日毎日、スケジュールをこなしても、こなせなくても、スケジュールそのものが入ってなくても(これはこれで悲しい)、何かしらの「種」を蒔いているようなものですよね、生きるって。

 

今日したこと、しなかったことが「種」となって、すぐにあるいは時間をおいて「実」となって表れる。

 

そんな「種」を、今日いくつ仕込みましたか?

 

以前蒔いた「種」を、今日どのような形で受け取っていますか?

 

生きていくっていうのは、そんな、原因結果の繰り返しなのかもしれません。

 

もちろん、どの「種」が、どんな「実」になったのか、その経緯が見えないこともあるでしょう。

 

どうして自分の身にこんなことが起きるのか、分からない理不尽さを感じたこともあるのではないでしょうか。

 

時には「一体俺が何をしたって言うんだ」と、神様に聞いてみたくなった時もあるのではないでしょうか。

 

今の自分のすべてが、過去に自分が蒔いた「種」の結果、と言われても、これとこれは分かるけど、これに関しては責任は取れない、なんていうこともあると思います。

 

そんな時に「前世からのご縁」と言われてもねえ。

 

確かに、仏教の教えだそうですけど、

 

「袖すり合うも他生の縁」

 

ということわざがありますよね。

 

これって、不思議じゃないですか?

 

「着物の袖が少し触れた程度の関係であっても、前世からの関係でそうなっている」なんて言われても、確かめようがありません。

 

ていうか、前世があるという前提でのことわざではないですか。

 

前世があるということは、人は生まれ変わるという考えが下敷きにある。

 

そしてこのことわざが、人から人に伝えられて生き延びているということは、これを聞いた多くの人たちが「そうだよな」とどこかで納得していたということでしょう。

 

逆に、これを聞いた人たちが、「前世とか、多生とか、生まれ変わりとか、そんなことがあるもんか」と思っていたのなら、今日にまで伝わってはいないでしょう。

 

どこかで、「生まれ変わり」とか「前世」といった考え方が広く普及していたのだと思います。

 

そうした、「生まれ変わる」という考え方を広めるためにこんなことわざを作ったとも言えそうですけど、否定されてはいないところに、なにがしかの真実も含まれているのかもしれません。

 

今ある幸や不幸が、前世からのつながりだとは証明できませんが、これからのつながりをマイナスにしないために、これからの行動や思考を整えることはできるでしょう。

 

手帳や日記、あるいはノートを出して、これからどんな「種」を蒔くのか、イメージしても楽しめますよね、寝るまでの一人時間を。

 

野帳』の話もしたかったのだった。

 

「手帳の下ごしらえ」が流行っているそうな

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨になった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

夜の雨の中、帰宅途中に2回も派手にひっくり返ってしまいました。

 

もう、運動神経ゼロ。

 

右足のすねの一部で出血。

 

久しぶりに血が出るけがをしたかも。

 

こうした時に、頭にリフレインされるセリフがあります。

 

「痛っ、血が出ちゃった」

 

これは高校生の時出会ってしまった陸奥Aさんの漫画の中のセリフ。

 

ちょっとドジな女子高生の主人公が、どぶ板を踏み外して言うセリフ。

 

少女漫画というものに偏見たっぷりだった僕の、その偏見を打ち砕いてくれたセリフでもあったのです。

 

 

やたらとお目目が大きい女の子が、蝶よ花よと扱われて、さしたる苦労もせずに、予定調和なハッピーエンドを迎える漫画でしょ、と思っていたら、どぶに足を突っ込んで、血を流すけがをするなんて。

 

というわけで、しばらく『りぼん』派でした。

 

さて、世間では、「手帳の下ごしらえ」なるものが流行っているとか。

 

なるほど、確かに市販の手帳を使うにしても、自分なりのカスタマイズはしたいもの。

 

初めから100パーセント自作でなくとも、今は個性的でしかも自分なりの使い方のできる手帳が何冊も出ていますもんね。

 

そのカスタマイズの準備を「下ごしらえ」というのでしょう。

 

いきなり書かないで、自分が書きやすいようにあれこれ手を入れるのでしょう。

 

僕も、ウィークリーの上段、日付が入っているところが空白ありまくりなので、そこに、誕生日から何日、残り何日と、数字を色を変えて書き込みます。

 

ふたつの数字を合わせると、もちろん365日。

 

これは数年前から書いているのですが、きっかけは、西暦でもない元号でもない自分の歳を数えよう、という自分企画から始まりました。

 

イスラム教で、確か、モハメッドが神の啓示を受けてから何年というイスラム暦というのがあったと思いますが、それの自分版。

 

自分が生まれてから今年で「寺田何年」とかしようと思ったのですが(中2病)、それよりも、「余命1年」と言われたら何をするだろうかという考えにシフト。

 

誕生日を迎えて、「余命1年」だったら、何をするのか。

 

どことなく、スティーブ・ジョブズが毎朝鏡を見て、「今日が自分の最期の日なら、今日これからすることが本当にしたいことなのか」と自分に問いかけてたこととつながっているみたいです。

 

ぼんやりしててはいけない。残された時間はもうないのかもしれないのだから。

 

かと言って、今日1日で最期というのも急すぎるので、1年にしたのです。

 

誕生日から何日目、次の誕生日まであと何日、その数字を毎日眺めている、というわけです。

 

その割に緊迫感がなくて、やっぱりもたもたしてますけど、意識はするように心がけてます。

 

それから、バーチカルなので、見開きが縦に8等分されています。

 

で、1週間は七日間なので、「1日分」が余る。

 

その1日分が週の初めに来ていて、ちょっとしたメモ欄になっているので、そこに表を書いて、その週の運動の記録をしています。

 

バレットジャーナルでおなじみの、習慣化トラッカーみたいな表です。

 

「歩いた」「自転車」「スクワット」と項目を立てて、〇△━の3種類で、毎日の運動を記録しています。

 

手帳には、探せば「余白」があちこちにあるので、まだまだ書き込めるところがあるはずです。

 

手帳を開くのが楽しくなる仕掛けを作りましょう。

 

満月の夜は、「捨てる」が吉

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

白い満月の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

生まれて初めて、満月が山の端から出てくるところを見ました。

 

お月様というのは、気がついたら「ぽっかり」(中原中也)出ているものだから。

 

しばらくじぃっと見ていると、確かに動いておりました。

 

満月の日には、何かを捨てるといいらしいです。

 

手帳を活用して、1日1捨てで、生活をスリムにした人もいましたっけ。

 

今日から、今夜からかな、捨てるものをリストアップしてもいいですよね。

 

数年間、一度も使わなかったものを「エイヤッ」と捨てた人もおりました。

 

どこかでそんな割り切りが、必要なのでしょう。

 

以前、大学生のころから集めていた本を処分する時に、捨てるものと捨てたくないものを分けていましたら、いい本がやたらと出てくるわけですよ。

 

「あっ、これはさすがに処分できない」とか、

 

「あっ、この本読みたかったんだ」などと思うものだから、一向に処分する本が増えません。

 

それもそのはずで、自分が読みたいから買ったはずなので、自分にとって「いい本」ばかりなのは当たり前です。

 

そのことに気づいてからは、「とにかく処分」ということにして、分類も捨てない選択もしないことにしました。

 

とは言え、後悔はしています。でも、仕方がなかった。

 

予定では、これからガンガン稼いで、買い戻すつもりなのですけどね。

 

その前に寿命が、という段階に来てはいますけど。

 

本は減ったものの、生活をしていると、モノがたまります。

 

やはり定期的にあるいは普段から、モノをなくしたほうがいいのでしょう。

 

いろんな「風通し」が良くなる、とはわかっていてもついついため込んでしまう。

 

こうして溜まっていくものが「生鮮食品」なら、今頃みんな腐って、腐敗臭を出しています。

 

やはり、使わないものは速やかに、自宅から出したほうが身のためなのでしょう。

 

満月の今夜、捨てることはできませんけど、捨てる算段をするとか覚悟を決めることなら、できそうです。

 

手帳を開いて。

 

6穴か20穴か、バインダーかリフィルか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ほぼ満月の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

引き続き、冬並みに凍てつく夜。

 

空の高みにかかった、明日は満月というお月様が、せめてもの慰み。

 

無印の新シリーズ、「リフィルノート」を見てきました。

 

お目当ては、珍しい2ミリ方眼。

 

メモ帳やA5のノートでは見たことがありますが、ルーズリーフタイプのリフィルでは珍しいのでは。

 

方眼好きとしては放ってはおけませぬ。

 

無印の「リフィルノート」も見たかった。

 

早い話が、A5の20穴のルーズリーフなのでした。

 

ただリフィルが、罫線だけのノートタイプではなくて、マンスリーや家計簿、ドット方眼など、明らかに若い女性狙い。

 

出所が、無印ですから。

 

さて、期待した2ミリの方眼は、細かいものでした。(あまりにも当たり前)

 

で、20穴のルーズリーフか。

 

何をどう書けばいいのか、具体的なイメージが今一つ浮かびません。

 

イラストとか図を描くのにはいいのかもしれません。

 

でも、言葉、文章を書くとなると、2ミリは細かい印象です。

 

野帳の3ミリも小さいですけど、ふたますを1行で使うと、3ミリ×2の6ミリになるので、B罫として使えます。

 

でも2ミリとなると、3段を1行で使うか、でも曲がりくねりそうだ。

 

というわけで、購入をためらいました。

 

物は試しと買ってもよかったけど、あんまり使わないものが増えるのもどうかと。

 

でも、ここにきて、どうしてA520穴のルーズリーフなのでしょう。

 

ノートタイプや5ミリ方眼の、A5、20穴のルーズリーフがすでに出ているので、その延長のような位置づけなのでしょうか。

 

再び勢力を盛り返そうとしているA5、6穴に対抗して、あくまでもルーズリーフで勝負といった感じなのでしょうか?

 

6穴と20穴で、穴のピッチというんでしょうか、間隔がずれるので、互換性はありません。

 

20穴のルーズリーフを6穴のバインダーで使うことはできません。

 

逆もまたしかり。

 

なので、どのバインダーにするかで、市販のリフィルが限られてしまいます。

 

なんだか、その昔のVHSかベーターかと競り合ったあの主導権争いを見ているようです。

 

最初に20穴を選んだ人は、それからは20穴用のリフィルを買い続けないといけない。

 

始まりが6穴の人は6穴用のリフィルを探して購入する。

 

自作しても、パンチ穴からして異なります。

 

普通のノートの大きさのB5、26穴のルーズリーフには、2穴バインダーにも対応できるように穴があけられているものがほとんどだと思います。

 

2穴バインダー、2穴なので、用紙をセットしてもぐらぐらするんですけど、両方に対応しているその気持ちだけいただきましょう。

 

だから、なんとかして、穴の位置を微妙にずらすとかして、6穴でも20穴でも綴じられる、そんなリフィルが生まれないものでしょうか?

 

個人的には、6穴のたたずまいが好きです。

 

どんな用紙でも、きちんと閉じられる、画期的なバインダーが生まれて欲しい。

 

6穴か20穴か、静かな勢力争いは、まだまだ続くみたいです。