コロナの時代だから、「ウイッシュリスト」を書こう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ゴールデンウィーク真っ只中の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

ゴールデンウィークの後すぐに、ある人と会う約束をしていたのですが、すぐに返信が来て、気がつかなかったので留守電でした。

 

で、その留守電の中身というのが、

 

ゴールデンウィーク中に県外に行かれますか?

 

もし旅行などで県外に行かれるのなら、その後すぐにはお会いしたくないので、日数をあけてください」

 

というものでした。

 

おお、そういう時代なのだね。

 

いったいいつまで続くのだろう、ということをもう何度口にしたことだろう?

 

その人の心配は、まったく正当なのだ。

 

我々は、つまりはそういう時代に生きている。

 

今回の、コロナ禍が終息しても、また次のパンデミックが数年後か数十年後かに必ずやってくる、という専門家の見通しをネットで見ました。

 

感染の心配なく、人に会ったり旅行に行ったり、握手したりハグしたりしてた、あの頃は幻だったのでしょうか?

 

今じゃ、どこでもパーテーションで区切られてるし、マスクは必需品だし。

 

数日前、外出中にいきなりの土砂降りにわか雨で、久しぶりに全身ずぶぬれになって、でも用事があったのでそのままの格好で、とあるお役所の窓口に出向いたら、担当の方にこう言われました。

 

「マスクはお持ちではないのですか?」

 

ああ、すみません、あまりの土砂降りで、マスクをつけるのを忘れてました、でも着眼点そこ?とは思ったけど、静かにポケットから、これもまたずぶ濡れのマスクを出しましたとさ。

 

そんな時代です。

 

「好きなことをしたらいい」なんて物言いが流行ってはおりますけれども、いくら個人で自由にやりたいことを思いっきり、と思っても、時代の制約とか、社会の規範とか、立ちはだかる壁も多うございます。

 

それでも懲りずに、「ウイッシュリスト」を書いたりしております。

 

コロナ以前は、あちこち旅行したいなんてことが、「死ぬまでにしたいこと」に必ず含まれてましたけど、今ではそうした、移動に関することは、すぐには回復しないのではないか、と思い、あそこに行きたいあれを見てみたい、といった願望は影を潜めてきました。

 

5月の後半に、東京で演劇を見たかったのですけど、この分では我慢でしょう。

 

1986年あたりに旗揚げした、アングラの劇団なんですけどね。

 

水族館劇場

 

その名の通り、水をふんだんに使ったスペクタクルな演出がすごい。

 

座長さんも役者さんも、多くは高齢なので、毎年、今年が見納めかも、と思っております。

 

手帳の最後のメモページとか、専用のノートなどに、「ウイッシュリスト」を書く人も多いと思います。

 

僕も、長期にわたる事柄には、専用のノートを用意しています。

 

それとは別の、今日とか今週、あるいは今月にしたいことなどは、主に「野帳」に書いてます。

 

「行きたい」ところ、といっても金沢市内か近郊に限られますが、自分の、定期的に徘徊したいエリアというのが幾つかあるので、それをピックアップすることが多いです。

 

紙に書き出すと、どこかで脳に残り、「しなければいけない」「忘れるな」「あれがまだだ」といったふうに、自分に指令を出すようです。

 

結果として、忘れずに実行できるのです。

 

今日も「野帳」を取り出して、エリア別に最近ご無沙汰で、そろそろ行きたい場所を書き出しました。

 

そして、ウィークリーの「空き時間」を見ながら計画を立てるのです。

 

移動手段が自転車なので、お天気に左右されてしまいますけど、「行こう」と思ってイメージしているだけでも、こんな時代の慰めになったりしてます。

 

思いっきり、紙を買いに行きたい。