手帳のスケジュール欄の、その先

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

やりたいことをみんなやってやる、って思ってもさ、どうしたらいいんだろう。

 

手帳のスケジュールは、どれくらい未来に続いていますか?

 

余計なお世話かもしれないけれど、自戒を込めて。

 

スケジュールのその先に、何があるんだろう。

 

てらぴーも若かりし頃、手帳を使い慣れてくると、予定を書くのがうれしくて、いろいろ細かく書いていました。

 

仕事だけだと一日全部は埋まらないので、当時隆盛を誇っていた情報誌『ぴあ』をひも解きながら、予定を埋めるのさ。

 

この日のこの時間でこの映画を見て、この美術展はこの期間だから行くとしたらここかここ、このチケットは、この日までに取らないと満員御礼になっちゃうかも。

 

今から思えば、滑稽ですけど、当時は、そうやってスケジュール欄を埋めるのが、日課でもあり、楽しみでもありました。

 

たいていは、計画倒れになるんですが。

 

それでも月一で、演劇を見ていた年もありました。

 

月一ですが、感覚としては、しょっちゅう演劇見てるな、って感じです。

 

『ぴあ』で調べて、(チラシをもらうことも多かった)チケットを取って、予定に入れて、で、当日見に行く。

 

毎週見ているようなディープな人もいることを考えると、ひよっこもいいところではありました。

 

でも今から思うのは、それってただ空欄を埋めてただけ。

 

その先はどうするの?という考えがなかったのです。

 

結局、何がしたいの?

 

映画見て、演劇見て、美術館に行って、あちこちぶらついて、お酒は飲めなかったのでカフェ(当時はサテン)で本読んで。

 

でも、「未来」につながってはいなかった。

 

今ここでこれをしていて、そして自分は何をしたいのか。

 

何のために生まれてきたのか。

 

生きて、そして死んで、でも、それでいいはずがない、と思う。

 

思うけど、どうすればいいのかが見えてこない。

 

好きなことをやっているはずなのに、充足感が持てない。

 

いやな仕事をしているわけではない。

 

これといって困っている人間関係があるわけでもない。

 

ただ、手帳のスケジュールが、その場限りのものになっている。

 

こんなことを繰り返すのか?

 

ゴールが欲しかった。

 

ああ、生きたなあ、自分を生きたなあ、というゴール。

 

それさえ見えていれば、途中で死んじゃっても、満足がいくのではないか。

 

満足がいかなくても、納得はできるだろう。

 

スケジュールのその先に、向かうに値する目標は見えているか?

 

手帳でも、ノートでも、はっきりと書き出さないと、見えてこないし実感できない。

 

勘違いでもいいから、自分が生きる理由を。

 

 

何歳になっても、仕切り直しはできるよね。