悪いこたぁ言わねぇ、手帳は大きいのにしなせぇ
こんにちは。
てらぴーだよ。
鮮やかな夕焼けを見た夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
松山猛さんだったと思うのですけど、「夕焼け評論家」を名乗っていました。
「夕焼け評論家」
その名前を見たときに、なんか「やられた!」感が半端なかったのを覚えてます。
「ああ、夕焼け評論家なら、俺だってなりたい」みたいな。
でも、もう二番煎じだし。
ならば、「朝焼け評論家」はどうだ?
うーん、なんか違う。
というわけで、もうかれこれ20年ぐらいはたっているのではないかと思いますが、夕焼けを見るたびに、「夕焼け評論家」という肩書きを思い出してしまいます。
「夜景評論家」というのもありましたよね。
「夕焼け」や「夜景」には、人をひきつけてやまない魅力があるのでしょう。
この時期、人をひきつけてやまないものと言えば、「手帳」でございます。
手帳にも、もちろん「手帳評論家」はいらっしゃいますし、最近じゃ、「文具ソムリエ」なんて新しい肩書も登場しています。
僕は、コクヨの「野帳」、測量野帳のスケッチブックをこよなく愛しているのですけど、コクヨの公式見解では、野帳の愛用者は「ヤチョラー」と呼ばれているようでして、それではなんか違うという違和感でいっぱいでございます。
それはさておき、手帳の選び方でしばしば議論になるのが、その判型すなわち大きさでございます。
大きさが気になるのは、持ち運びの容易さ、もしくは困難さが関係するのでしょう。
ありていに言ってしまえば、バッグ、カバンに入るかどうか。
このため、大学ノートの大きさのものはあまり選ばれず、その半分のB6、さらに半分のB7前後のサイズが、いわゆる手帳として、イメージされるサイズだと思われます。
A版でいうと、コピー用紙の半分のA5、さらに半分のA6(はがきサイズ)あたりが、手帳として持ち運べる大きさになると思います。
A5でも、1日1ページタイプともなりますと、かなり大きくかさばります。
なので、それはデスクに備え付けということにして、より小さく軽いものをモバイルに使っている人も多いと思います。
確かに最近は、バッグにしても、小さめの肩掛けカバンが流行っていたり、帰ってきたポシェットみたいな、薄くて軽い、風にもなびくサコッシュなんかが定着しています。
そんな小ささでは、A5はおろか、B6でも持ち運びに難儀するかもしれません。
第一、入らないかも。
というわけで、今や第3の「手帳売り場」と化した100円ショップに並べられた、薄手のB6あたりのが流行っているのも、時代の流れと申せましょう。
でもですよ、そもそも何で手帳を書くのでしょうか。
手帳に書く内容は、大きく二つに分けられると考えています。
一つはスケジュール、そしてもう一つはライフログ(生活の記録)。
そして、このライフログには、今日何をしたかといった事実だけでなく、何を考えたのか何を思ったのか、ということすべてが入ると思うのです。
スケジュールは、忘れないためであれば、カレンダーでも代用できますし、スマホで十分という方もいますでしょう。
でも、あなたの生活は、それだけではないはずです。
今日の予定はこれこれだ、これこれを済ませた、これこれは繰り越しだ、さて明日の予定は。
といったような、スケジュールだけで、あなたという一人の人間の毎日が成り立っているのではないでしょう。
それ以外の、ルーティンなことも、イレギュラーなこともいろいろあると思います。
そして、何かしらの出来事の前後には、感情も動き、思考も働くことでしょう。
生きているんだから。
その生きた証しを、誰に見せるわけでもないので赤裸々に書き記しておくと、後で読み返すのが楽しみになります。
ああ、この日こんなことがあって、こんなことを考えてて、こういう気持ちになってたのか俺。
毎日の生活は何かとあわただしい。
すぐに時間は流れ、その時間の中での出来事も感情も思考でさえ、次から次に上書きされて残りません、手帳に書かないと。
手帳に書いておけば、その当時のことを瞬間冷凍保存できます。
書くということはまた、可視化することでもあります。
今日どんなことをして、何を考え何を思ったのか、表に出さないと見えてきません。
見えないままだと、知らず知らずのうちに、自分を見失うかもしれません。
どこへ行きたいのか、何を感じたいのか、どんな景色を自分に見せたいのか。
その時は、強く思っても、書いておかないと、大事なメモが乱雑になっている机の書類の中に埋もれてしまうように、いつしかなくなってしまうでしょう。
そうならないために、常に自分を書き記しましょう。
そのためにも、多少重いかもしれませんが、手帳を選ぶのなら大きめ、がおすすめです。
スペースが用意されていれば、最初は書けなくても、書けるようになるものです。