令和は何を引き継ぐのか継がないのか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

平成が終わって、令和になって、平成とはどのような時代であったのか、さまざまに語られています。

 

当分この傾向は続くのでしょう。

 

その時代のその年に何歳であったか、また、どこにいたか、というのは、その時代の感じ方に大きく影響すると思います。

 

例えば、昭和で言えば、高度経済成長。

 

昭和40年ごろに何歳で、東京近辺に住んでいたのか、地方にいたのか、それによって、経済成長というもののとらえ方も変わってくるのではないでしょうか?

 

高速道路や新幹線、そして、大阪万博

 

けれども、地方は、まだまだ貧しかった。

 

東京と田舎では、タイムラグがあるのではないかと思います。

 

バブルの栄華とその崩壊も、東京に住んでいて感じるものと、地方に住んでいて感じるものは異なったはずなのです。

 

バブルが終焉して、でもまだ残り火のようなものがくすぶっている時期に、地方都市の金沢にJ(ジェイ)ターンしました。

 

金沢では、バブルがまだ残っているような状況でした。

 

けれども、交通や通信の発達で、このタイムラグも次第に短くなっているのかもしれません。

 

平成とはいかなる時代であったか、という時代論は、しばらくは続くでしょうけれども、時代が変わったからと言って、その日を境に、何かが変化するものでもない。

 

そう思います。

 

それに、その特徴は、果たして「平成」という時代が生み出したものなのか。

 

といった検証も必要でしょう。

 

奈良時代が終わったからといって、すべてが平安時代に移行したわけではありません。

 

1192年に鎌倉幕府が始まったのか、ということについては議論があります。

 

でも、いくら源頼朝が、「本日ただいまより鎌倉幕府始めました」と宣言したところで、何も変わりません。

 

しばらくはこれまで通りです。

 

幕府は鎌倉でしょうが、都は相変わらず京都ですし。

 

公家は公家で律令で生きてます。庶民だって、何かが変わったのを実感するのは、もう少し後になってからでしょう。

 

年貢をどこに誰に収めるのか、といったことで、時代の変化を感じたかもしれません。

 

時間の流れは単線的でも、時代は、重層しています。

 

令和になっても、縄文時代的なものが残っていたり、江戸時代からのものが引き継がれていたりするのです。

 

令和は、何を残し、何を捨て、何を始めるのか。

 

その変化はこれからです。

 

けれども、そういったことは、いったい、誰が決めるのでしょうか?