ノートに何度でも夢をかこう
Mさんへ
こんにちは。
てらぴーだよ。
図書館で借りてきた本たち。
いつものようにテキトーに選んだつもりが、人生を考え直すようなセレクトになってしまった。
受験勉強によく見られるのが、受験が最終目標になってしまうという勘違い。
受験はあくまで志望校に入るためのものなのに、それが目的になったせいで、合格した段階で、次に何をしたらいいのかがわからなくなる、という病いだ。
燃え尽き症候群なんて呼ばれたりもしている。
そう言えば、今の時期あたりが危ないのだった。
5月病だ。
あなたはどうだろう。
生きる目的は幸せになるためだ、と誰もが言う。
けれども、何が幸せなのか、その定義は人それぞれだ。
全ての人が、等しく同じ幸せを求めなくてもいい。
「高度経済成長」の時代は、そうだったかもしれない。
しかし、もうそれは終わった。
一人ひとりの思い描く幸せを追求すればいい。
けれども、人は往往にして、何が幸せなのか迷ったり分からなくなったりもする。
それで、ほかの人の意見などを補助線とするのだろう。
それで、先に示したような本が読まれると言うわけだ。
もちろん、本をいくら読んでも、幸せにはならない。
本に書いてあることを実行しても満足感が得られるとも限らない。
同じような状況にあっても、幸せだと思う人もいれば、こんな自分は不幸だと感じる人もいる。
ここで大切なことは、自分が考える幸せを、幸せの定義をしっかりと具体的に持つことだ。
他人とは比較しないことだ。
そしてそれを、ノートに書き出すことだ。
頭の中であれこれ考えていても、話がふくらんだり、まとまらなかったり、レベルとか基準が異なったり、つまりは、めちゃくちゃになってしまう。
分野によっては、細かく描けても、ぼんやりとしか考えられない分野もあるだろう。
例えば、旅行のことを考えて、ベトナムに行ってみたい、バインミーをネットで見たあのお店で食べられたらどんなに素敵だろう、なんてかなり具体的に思い描けても、仕事に関しては、もっと頑張りたいぐらいのあやふやな段階にとどまっているかもしれない。
そういった、レベルとか基準が異なる考えのまま、思考を広げていくことは難しいだろう。
ここは具体的だけど、この辺はあやふやだ、なんてことも見えなくなるかもしれない。
だから、ノートに向かって手を動かしながら、頭に浮かぶことを書き留めたり、考えたことを書いていく。
そこからさらに、言葉が続くこともあるだろう。
どんどん具体的に広がることもあれば、それ以上言葉もイメージも浮かばないことだってあるかもしれない。
自由に、制限を取り払って書いてみるんだ。
「自由に」書くことが、想像を広げることが、存外難しいのだということを思い知るかもしれない。
「こんなことは無理」「自分にはできない」という「他人からの制限」をたくさん抱え込んでいるからね。
でも、それが普通なんだ。
でも、それを飛び越えないと、やりたいことは見えてはこない。
定期的にノートに書き出すことで、やりたいことはどんどん形になると思う。
続けて欲しい。
ではまた。