ノートに自分の思いを書き出すのにも鍛錬が必要

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

目がかゆい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

考えてみたら、空気中には、いろんなものが漂っているのであった。

 

ホコリ、花粉、PM2.5、様々な微粒子、それから隣国の黄砂、ニュートリノ、さらには各種電波まで。

 

そのすべてが目に見えたなら、目の前なんて真っ暗になるに違いない。

 

見えないほうが、いいことっていうのもあるよね。

 

ああ、でも、自分の考えていることとか感情は、見えるようにしておいたほうがいいと思います。

 

ノートや紙に書き出して、自分の考えや気持ちと向き合うのです。

 

最初は、心の中の腹黒いことがらなんて、書くのも嫌でした。

 

どこかで否定したいとか、自分はそんなひどいことを考えてはいない、てな調子で、自分に対しても「いい子」でいたかったようです。

 

特に具体的な相手がいる恨みつらみのような感情は、その言葉を書くのもためらわれましたから。

 

書き出しているときに、思ったようなことを文字にするのが嫌でした。

 

しかもそれを目でも見ないといけないし、書くことは、頭の中で「(無声ではあるものの)音読」をするに等しいことだったから。

 

文字を書きながら、頭の中で「読んでいる」ってことないですか?

 

自分に正直になると、邪な考えや、道徳から離れた気持ち、見たくない文字列にも、向き合わないといけなくなります。

 

どう考えても、そんな言葉で表現しているのだから。

 

否定はできない。

 

でもノートには書くのをためらってしまう自分がいる。

 

最初は本当に書けなかった。

 

自分が考えていることを書き出すとか、自分の思いを見える化するとか自分なりに宣言して取り組んではみたものの、そして、頭や胸の内では言葉が出てきているのに、その言葉を、表現を文字にできない。

 

でも、結局は、慣れでした。

 

何度も何度も書き出して、少しづつ「ひどい言葉」「他人が見たら引いてしまうような言葉」なんかを書けるようになっていきました。

 

いつまでも書かないままにしておくと、自分の一部を認めないままだと気づいたから。

 

穏やかに物事を考えている自分もいれば、とんでもなくひどいことを考えている自分もいて、そこに目をつぶってもしょうがない。

 

他人に対してだったら、いいところを見せたいと思うけど、自分と向き合うのに、かっこつけるわけにはいかない。

 

確かにそう考えました。そんな気持ちになったのは自分です。

 

見たくないとか、認めたくない気持ちが先立つけど、それらも自分が生み出してきていること。

 

無かったことにはできません。

 

これまでの失敗とかの背後に、いつも似たような感情や思考が働いていたのでは、と気づくこともできました。

 

もしかしたら、そういったものが、自分の課題としてあるのかもしれません。

 

乗り越えなかったら、何度でも現れる。

 

だから、きついかもしれないけど、向き合いたくないかもしれないけど、課題として、はっきりと露わにしたほうがいい。

 

逃げてたってつかまりますよ。

 

これまでがそうであったようにね。

 

時々はノートに、正直に、浮かんだことを書きなぐりましょう。

 

たとえどんなに、人倫にもとる思いが含まれていたとしても。