夢は現実とのミルフィーユ構造になっている
Мさんへ
こんにちは。
てらぴーだよ。
朝起きて、今日のしなければならないことを確認する。
次に、明日のしなければならないことややりたいことを思い描く。
さらに、それ以降の予定を思い出したり想像してみたりする。
そうした拡大版ToDoの中に、現実的なこと、自分がしたいことはどんな比率になっていますか?
今日のことだったら、仕事のことが中心になるでしょう。
前日までには分かっている様々な業務、その中で今日中にしなければならないことは無視できません。
一方、プライベートなことで、今日中にしたほうがいいことはどれくらいあるのでしょう。
もし期限が切られていて、それが今日中だったとしたら、それもまた後回しにはできません。
そうして明日のことを考えても時間が近いせいで、仕事のこと、自分の生活のことで時間が埋まってしまうでしょう。
明日にはやれると思っていた、本当にしたいことも、「今日中にしなければならないこと」に奪われて、先送りになりがちです。
こうしていつの間にか、「現実」が生活を支配し始めるのです。
そうしていつの間にか、人は「夢」をしまい込んでしまう。
やりたいことの間に現実が覆いかぶさり、けれどもと思い夢を重ねても、現実が割って入る。
だから夢というのは、現実とのミルフィーユ構造になっているのです。
だから夢を語るときは、1度で出し切れない、そんなことも、覚えておくといいかもしれません。
あなたのしたいことは何ですか?と問われたときに、人は直近のあるいは目に見える範囲の中で夢を探しがちです。
遠く離れた時間は、なかなかおびき寄せられない。
それだから、表層の、夢とも現実ともつかない「したいこと」「しなければならないこと」に目が行くのでしょう。
どうか、夢を深堀りしてほしい。
何度でもしつこく自分に問いかけるのです。
自分が本当にしたいことは何だろう。
明日世界が終わるとしてもやりたいことは何だろう。
何かしらの病気で「余命宣告」がなされたとして、それでも続けたいことは何でしょう。
そうなったら、やり始めたいことは何でしょう。
小さい頃から好きだったことは何でしょう。
夢中になれたことは何でしょう。
心ときめくことは何でしょう。
これができたら最高!と思えることは何でしょう。
ぜひ、深堀してください。
よく言われるように、「もう出ない」からが本当の夢の出発点。
ミルフィーユのあの薄皮を1枚1枚はぐように、自分の夢を発掘するのです。
実際問題、そんな食べ方をしている人はいないと思いますけれども。
本当にしたいかどうかは「ときめき」が教えてくれますよ。