夢は現実的だから、叶う
Mさんへ
こんにちは。
てらぴーだよ。
A4という大きめのノートを贈ったのは、思いを広げてほしいから。
例えば、夢、これからどうしたいのか、どんどん考えや思いが広がるに任せて書けるように。
すぐにノートの端になったり、ページがいっぱいになったりすると、言葉が分断されてしまう。そうなったら、せっかくの思いも広げにくいと思う。
その点、片面でA4、見開きにすればA3だから、広さとしては申し分ないと思う。
さて、ノートに向かって自分の思いとか夢を書いていくのだけれど、夢とはそもそもなんだろう。
今はそうではないけど、これから、将来のある時点で実現してほしいこと。
例えば、「ラーメン食べたい」が夢だったとしよう。夢っぽくないけど、でもそれはどうしてだろう。
この場合、夢の達成というか実現はたやすいはずだ。
なぜか。
もうあなたは、「ラーメン」がどのようなものであり、どうすれば食べられるのか知っているから。
自分で作ってもいいし、美味しいラーメン屋さんに食べに行ったっていい。
でも、あなたは、「クロペッファ食べたい」ということはできない。
なぜなら、そんな食べ物はどこにもないからだ。今僕が勝手に作った。
おまけに、どんな食べ物か、どこに行けば食べられるのか、適当に捏造したので、誰にもわからない。
つまり、夢というのは、それが叶えられた状態を知っていないといけない、ということだ。
そうでないと、想像することもできない。
だからと言って、現実から遠く離れた夢も、夢とはなりにくい。
「あなたの夢はなんですか?」
と聞かれて、
「毎日100億円が手に入る」と言ったとしよう。
果たしてそれで幸せになれるのか。
最初はいいかもしれない。
何しろ100億円だから。
家を買ったり車を買ったりできる。
しかも豪邸だったり、ポルシェの詰め合わせだって買えるだろう。
しかし、それが毎日となると、多分数日も経てば、買うものがなくなる。
そして、飽きる、と思う。
だから、あまりにも現実離れした夢は、妄想であって、ここで言う夢ではない。
でも、もちろん、夢は現実的だからと言って、あまりにも現実から離れられないのも悲しい。
ラーメン食べたい、以上、といった夢だ。
はたして夢なのか。
叶えようと思ったら、今日中に叶えられる、そういうのも、夢とはなりにくい。
お給料が後2000円、上がりますように、というのは夢にしてもいいけど、そこはかとなく悲しいものがある。
夢を描く、と言っても、描き方というか、どんなことを夢にしたらいいのか、簡単ではない。
夢の持ち方にも、鍛錬が必要だ。
だから、ノートを贈った。
何ページでも、何回でも書き直して欲しい。
最初は単語程度でも、だんだんイメージが膨らんだり、詳しく説明できるようになっていくと思う。
毎日の「生きる」を充実させるためにも、夢はあったほうがいい。
そしてもちろん、その夢に向かって進んだほうがいい。
夢は現実の延長線上にある。
だから、たどり着ける。
どんどん書いて欲しい。
PS
最後に僕の好きな小話を
ランプをこすったら魔人が現れてこう言った。
魔人「お前の望むことをなんでも3つ叶えてやろう」
若者「あわわ、ホ、ホントですか?えーと、えーと、ちょ、ちょっと待ってください」
魔人「…あと二つ」