ノートに向かうことは、セラピーだ
Mさんへ
こんにちは。
てらぴーだよ。
大判のノートに向かうことは、セルフカウンセリングのようなものかもしれないね。
自分のことをあれこれ考えているだけでは、おそらく思考はまとまらない。
なぜなら、思考というのは、あちこちに飛ぶものだから。
これまでの自分の歩みを振り返ってみよう。
物心ついた時から今まで、自分は何に夢中になってきたのか。
その当時、何に心を奪われていたのか。
そこには、自分の自分たる所以のような事柄があると思うんだ。
でも、思い浮かべているだけだと、やがて消えてしまう。
やはり、ノートに書きつけておいたほうが、いいだろう。
文章でなくてもいい、単語だけでも構わない。
物心ついた時からのことを思い出していると、連想があちこちに飛ぶことだってあるだろう。
これまでの記憶って、年代別に順番にしまいこまれてはいないから。
でも、文字として書きつけていけば、思い出した言葉が次の言葉を呼んで、次第に記憶の深いところにまでリサーチがかかると思う。
そう言えばそんなことがあった、忘れていたけど、そんなことが好きだった。
その後記憶の底に沈みっぱなしだったけど、あの頃それに夢中だった。
そういった、いろんなことが、走馬灯よろしく浮かび上がってくるだろう。
死んじゃうわけじゃないけど。
それらを逐一、書き留めていくんだ。
書き方になんかこだわらないで。
それは、まるで自分で自分のカウンセリングをしているようなものだ。
細かなところまで、忘れていたことまで思い出してノートに書いていくことで、癒しにもなる。
ノートセラピーだ。
そうやって、自分の過去と対峙していると、未来へも展望が開けるだろう。
具体的に、これからどうしたいのか、その方向が見えて来ると思う。
自分の人生をどのように動かしていきたいのか、その本音の部分も見えてくるかもしれない。
思い出すだけでは消えてしまう。
考えているだけでは形として残らない。
「字」として、「単語」にして、「文章」の形で見える化することで、「次」への洞察も焦点が定まるに違いない。
安易に、好きなことだけやればいいとは言えないけれど、一度、自分の「好き」にとことん付き合ってもいいのではないかな?
「できる」ことが、ライフワークになるとは限らない。
でも、ライフワークは、「好き」なことであるはずだ。
ノートを何ページ書き潰してもいいから、「好き」を思い出してほしい。
ではまた。