集めることが正義なのだ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップです。

 

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ダイソーで久しぶりに、ノートを買ったよ。

 

野帳を使っていると、もうこれで十分と思うから、ノート買わなくていいんだけど、欲しいものは欲しい。

 

ノートに限らず、何かをコレクションしている人は、多いと思います。

 

集めるというのは、どこからかわからないけど、加速がつくよね。

 

最初は少しづつ、集めるとも無しに集めていたのが、「自分はこれを集めている」と自覚すると、その集めているものが、やたらと目に入るようになってくる。

 

そうなると、そこにあるもの全部を手に入れようとしたりする。

 

一個で十分とは考えない。

 

   そんな、ものの集め方をした人に、明治期の御雇外国人、モースがいる。

 

僕が東京を離れる頃だから、バブル崩壊後の1991年あたりだと思うけど、「モース展」があった。

 

場所はもう忘れてしまった。

 

大森貝塚を発掘したことで知られるモース。

 

そのモースは、日本の「もの」をすっごいたくさん(語彙力無し)集めていたのだ。

 

その展覧会のキャッチコピーが、

 

「100年経ったら

 

別の国」

 

うん、100年も経てばものすごく変わるよね、という説得力ありまくりな展覧会でありました。

 

展覧会ができるほどだから、集めたものが半端なかった。

 

とにかく身の回りのものから芸術作品まで、あらゆるものが並べられてましした。

 

よっぽど珍しかったんでしょう。

 

今では食べられないけど、瓶詰めの金平糖もあった、それもいくつも。

 

雑貨屋さんに行って、ここからここまで全部ください見たいな買い物をしたのではと思えるくらい。

 

一つの品を一つだけではない、色違いも含めて全部ください的な買い方。

 

人の乗るカゴ(あの、時代劇に出てくる偉い人が乗るやつだ)まであった。

 

どうやって当時アメリカまで運んだんだよ。

 

最初の滞日が2年なので、買いまくりしたに違いない。

 

当時の東京大学で、御雇外国人だから、破格のお給料だったに違いない。

 

年収で数千万円レベルだったのではないか。

 

そのほとんどをつぎ込んだのでは、と思えるくらいの買い物をしている。

 

モースおそるべし。

 

というわけで、ものは集めたくなるものなのだ。

 

そして、何かをきっかけに、ブースターに火がついたりすると病はいよいよ膏肓に入る、だ。

 

でもそれは、本人にとっては、喜びなのですよ。

 

めくるめく収集の世界にようこそ。