沢山は集められないけど、ノートの引力からは逃げられない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ゆるやかに春が始まっている夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

例年なら「三寒四温」という言葉が飛び交う時期。

 

花粉症もコロナウイルスの前では、後景に追いやられたかのようです。

 

コロナウイルスより前に、トイレットペーパー不足やマスク不足が終息するのでしょうか?

 

1973年のオイルショックの時は、トイレットペーパーに始まって、同じ紙製品であるノートにまで飛び火しましたっけ。

 

ノートのほうはさほど混乱というのはなかったようです。

 

でもこの時に、ノートの買い占めをして、紙集めを覚えたのでした。

 

手帳はさすがに何冊も買いませんけど、ノートの類は何冊あっても楽しいものです。

 

特に使う当てがなくても、気に入ったノートなら買っちゃうんじゃないでしょうか。

 

ただ、消しゴムと違って、段ボール箱に何箱もある、という人は珍しいのではないかと思います。

 

やはり、消しゴムのあの小ささとバラエティなところが収集癖をくすぐるのに対して、ノートのほうはかさばるものだから、ある程度集まった段階で、これ以上はまずいという理性が働くのでしょうか?

 

元祖リケジョと言ってもいい楠田枝里子さんは、『消しゴム図鑑』(光琳社出版)という本、というか消しゴムの写真集を出されてますが、コレクションの数が20000個だそうです。

 

20000個!

 

消しゴムならありですが、ノートを20000冊、というのはきついと思います。

 

第一保管場所に困ります。

 

紙って、本を見ても分かるように、意外と重いし。

 

おまけに紙は、日に焼けたりしみがついたり、湿気で波打ったり、保管方法も考えなくてはなりません。

 

なので、大量に集めることは考えものです。

 

だからと言ってそうそうバリバリと使うこともない。

 

おそらく数十冊あたりで集めにくくなるのではないかと思います。

 

僕はと言えば、段ボールに入れて、押し入れに突っ込んだまま。

 

少しづつ買い足してはいるものの、総数は100には届かないと思います。

 

でも、どんどん使うという予定もないので、たまる一方ではあるのですが。

 

それでも、罫線ではなくて方眼であれば買ってもよい、という自分ルールで一応のブレーキをかけてはいます。

 

デザイン的に素敵なものは、どうしても「保管用」として買いたくなりますから。

 

それに、大量生産ではない、特殊なデザインのノートって、今回限りも多いです。

 

つまり、後で買い求めようと思っても「絶版」で手に入らないことがほとんど。

 

店頭に並びません。

 

なので、買える時に買っておかないと、という使命感にも似た義務感、「俺が買わなかったら誰がこのノートを後世に残すのか?」という気分でレジに赴くのです。

 

ノートは、眺めていても、手でもってめくっているだけでも、気分をあげてくれます。

 

紙が集まって、あのような塊になると、強い引力を発揮するのが不思議でなりません。

 

1枚でも、ノートになっても、ブロックでも、紙には手に取ってみたいという魅力にあふれています。

 

手帳だってそう。

 

もう今年の手帳は用意してあるのに、手帳売り場に行っては、ページをパラパラさせるのが、何よりの息抜きとなるのです。