食べよう、食欲は大事だ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップ。

 

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昼食は、かつやのカツ丼。

 

とんかつの一番小さい「梅」が定番です。

 

ここ数年、たぶん3年ぐらいは、「ご飯少なめ」でお願いしてます。

 

炭水化物ダイエット。(笑)

 

ご飯2割引ぐらいで出てきます。

 

が、昨日は、ここ数年で一番少なかったです。

 

半分ぐらいかなあ。

 

こうなると、心なしか、とんかつの方もひと切れかふた切れ「間引き」されてるんじゃないか、と疑ってしまう少なさでした。

 

目の錯覚だったか?

 

まあでも、美味しくいただきました。

 

食欲は、健康のバロメーターですよね。

 

単純に体が元気なのか、という基準になります。

 

適度にきちんとお腹がすく、すいたというシグナルが出る、というのは大切なことです。

 

いまお腹が空いていて、食べたいものがあるというのは、体が健全である何よりの証拠でしょう。

 

体が要求している通りに食べてれば、間違いがありません。

 

でもその前提は、体が健康であることです。

 

食欲は、体からだけでなく、心からも発せられるようです。

 

気分が高揚していてやる気に満ちているときは、食欲も旺盛です。

 

もうなんでも、いくらでも、そしていつまでも食べられる気がしますよね。

 

気のおけない友人たちとの会食になると、気分も上がるし、食欲も高まります。

 

満腹感が消えるか、遠くに退きます。

 

逆に、心が沈んでいるときは、食欲も湧きません。

 

もしくは、食べたいものがない。

 

それは、究極には、セルフネグレクトにも通じるのでしょう。

 

食べないと、元気にはなれないのに、食欲がわかない、エネルギーを補給しないので、活力が出ない、活力が出ないからますます食べたくなくなる、と言った悪循環で、体が弱ります。

 

それにつれて、心も上向かない。

 

積極的に「生きよう」としているのか、ただ存在しているだけ、何かをなそうとしていないのか、それは食欲が決めてます。

 

まずは生きる、命を永らえる、そのための食事ですから、これはもう義務と言っていいのかもしれません。

 

あらゆる活動の原点は、今生きているというところですから、何をするにも、生きていることが必須の条件になります。

 

今がどんなに辛くても、ご飯を食べさえすれば、なにがしかの活力は生まれるでしょう。

 

何をするかは、そのあと考えたっていい。

 

願わくば、その食卓に、友のあらんことを。