調理して食べるが生きる基本なのだ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

昨日のレシートスクラップです。

 

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昨日は、業務スーパーに買出しの日であった。

 

ところが、何も食べたくない。したがって、買うものがない。

 

全然ないわけではないものの、買い物かごに入れようと手が動かない。

 

さすがに切れてた「そうめんとかのつゆ」は書いました。

 

ついでに、そうめん本体も。

 

このそうめんは一袋の8束入ってます。

 

そうめんにしては太め、名品「揖保乃糸」に比べると、太さも長さも2割増って感じだ。

 

なので、やや物足りないまでも、ひと束で1食分ある。

 

コスパ最強。このそうめんのおかげで生きながらえる。ありがたい。

 

でも、それ以外に買うもの、買うべきものが見当たらない。

 

買い置きの食料も減ってないしね。それが原因か?

 

ともかく、買い物は少なくて済んだ。

 

食べたいものがないだなんて、生命力が低下してるのかもしれない。

 

もっと生きようよ。

 

どんな食材を買うかで、どんな生を送ろうとしているのかがわかる気がする。

 

カップラーメンとか菓子パンばっかりかごに入れてると、生きてやるという意欲は感じられない。

 

逆に、食材ばっかしだと、これらを調理して、生きていくんだなあと、羨ましくもなる。

 

卵焼きレベルではなくて、もっと料理も覚えればよかった。

 

すぐ食べられる出来合いのものは、どこかで自分の生命力を売り渡してるよね。

 

でも、元気がないときは、すぐに食べられるものがありがたい。

 

「天ぷら」は、もう家庭料理ではなくて、買ってくるものになっている、というニュースを読んだのは、もう何年も前のことだ。

 

包丁を持たない家庭も、もう珍しくないのだろう。

 

世間の流れはともかく、自分の食卓には、責任を持たないとね。

 

パンは仕方がないとしても、惣菜は買うのは控えよう。

 

ミスドか、でもあれは「おやつ」だから。