時間が足りなくなるわけ、についてのちょっとした考察

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨が降り出した夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

忙しくないですか?

 

時間に追われていませんか?

 

忙しい毎日を送っている(と感じている)人は多いと思います。

 

どうして時間がないと思ってしまうのでしょう?

 

小学生のころ、毎年夏休み前になると必ず「夏休みの過ごし方」みたいな計画を書かされませんでしたか?

 

24時間が、円グラフや棒グラフになっていて、そこに、自分で予定を組んでいくあれです。

 

計画的に規則正しい毎日を過ごしましょう、という趣旨だったと思います。

 

それで、毎年立てるのですが、崩壊するのも早かった。

 

一日たりとも守られません。そんな記憶が、罪悪感とともに幼い胸にしまわれています。

 

自分で立てた計画なのに、どうしてうまくいかないのか、幾度自分を責めたことでしょう。

 

でも今ならはっきり言えます、計画の立て方が悪かったのだと。

 

計画は点で考えたら失敗します。

 

朝8時から9時まで「勉強」、9時から11時は「遊び」とか、そんな風に時間を割り振っていくと、実は時間は足りなくなるのです。

 

なぜか。

 

次の項目に瞬間的には移動できないから。

 

必ず「次への移行の時間」というものがあるのです。

 

例えば、あなたが夜、お風呂に入ることを考えてみましょう。

 

「お風呂に入ろう」と思って、自分で用意するのでもいいし、家族からの「お風呂ですよ」を待っててもいい。

 

でも、次の瞬間、湯船につかっているというわけにはいきません。

 

ちなみに、この「湯舟」という言葉、なかなかうまい言い方だなあと常日頃思っているのですが、その話はまた別の機会に。

 

とにかく、「お風呂の時間だ」となってからお風呂に実際に入るまでにいくらかの時間がかかっています。

 

着替えを用意したり、バスタオルなどを出したり、服を脱ぐ時間も必要です。

 

風呂から上がっても、すぐに次の用事に取り掛かれるわけもなく、しばらく休むと思います。

 

たいてい何か水分を補給しているでしょう。腰に手を当てて。

 

ところが、こうした前後の「風呂に入っているのではない時間」は、たぶんあなたの中で、「風呂に入るのに必要な時間」とは計測されていません。

 

なので、「どれくらいお風呂に入っている?」と聞かれたら、お風呂に入っている、つまり浴室にいる時間をこたえがちです。

 

また自分でもそのように思っています。

 

「お風呂の時間は30分あればいいな」とか「自分はいつもお風呂は20分と決めている」などと考えているのです。

 

けれども実際には、その前後でいくらかの時間を必要としているのではないでしょうか?

 

何かをする時間は「点」ではなくて「幅」で考えなくてはならない。

 

夏休みの計画も、「遊び」の後が「勉強」だったら、その前後の「切り替え」とか「休憩」の時間を見ておくべきなのです。

 

そうして余裕を持たせれば、キチキチにもならず、したがって時間に追われることも、時間がないと騒ぎ立てることにもならないのではないかと思います。

 

あることをしていたとはっきりと思い出せる時間のその前後に、何をしていたのか判然としない時間が確かに、まるで見えないけれども存在する暗黒物質のように漂っているのです。

 

ああ、おそろしい。