手帳なんてどれでもいい、それよりも、ノートだ、ノートに手書きだ
こんにちは。
てらぴーだよ。
ほとんど暖房いらずで過ごせた日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
毎日の生活の中で、「書く」ことの比重はどれくらいでしょうか?
今は亡き父が、急性白血病で長期の入院をしていた時、親子2代続く「一人っ子」だったせいもあって、付き添いを頼める親族がおらず、母と二人で、しばしの病院暮らしとなったことがりました。
1日中病院にいるわけですが、何しろ「付き添い」なので、これといってすることがありません。
ほとんど父のそばで、体をさすっていたのでした。
今から思えば、この「体をさする」というのも、病人を元気づけるなにがしかの力があったように思います。
それはともかく、数日もすると、なんだか落ち着かず、売店で、ボールペンと小さなノートを買い求めたのでした。
とにかくなんか書いていないと、気分が落ち着かない気がして。
そうして書き始めると、あれこれいろんなことが思い出されてくるのでした。
父とのそれまでのことや、父に対する思いとか、なんてことのない思い付きとか、とにかく何でも書いていると、不思議と気持ちも安らぐような感じがしたのです。
「書く」という行為には、不思議な力があるのでしょう。
いくら何でも「自動書記」はできません。
書こうとすることを頭の中で思い出したり構成したりしながら、その後、手で文字を書いていきます。
頭に浮かんだことを手で書いて、そして目がそれを見ている。
頭の中に言葉が浮かぶということは、耳も関係しているのでしょう。
イメージなんかも、言葉とともに浮かんだりします。
こうしたことが、頭や心にいいように働くのだと思います。
手帳の役目は、だから、単語の羅列に終わるような「タスク管理」だけにとどめるべきではありません。
結局のところ、手帳はどんな形式でもいいのだと思います。
判型、つまり大きさや、マンスリーかウィークリーかの違いとかありますが、「書き込めるスペース」としては、大差ないと思います。
それよりも、「何を書くのか」が大事。
今日の自分を残しましょう。
何をこなしたかだけでなく、何を考えたか、何に対してどう心が動いたか。
そうなると、マンスリーやウィークリーではスペースが足りない。
「日記」の出番ですよね。
書けない日もあるでしょうから、毎日でなくてもいいので、日付がはいってなくてもいい。
そうなると、ノートもありです。
おすすめはもちろん「野帳」です。
「1日分」のスペースが決められてなくていくらでも書ける。
スケジュール帳のほかに、そんなノートか「野帳」を加えましょう。
生きるということは、日々考えているということです。
何を考えるのか、それは、どうしたらよりよく生きられるか、これしかないでしょう。
「食」で考えると分かりやすい。
どうせ腹が減るのに、私たちは毎日食事をします、なぜですか?
健康に生きたいからでしょう。
でも、カロリーはあっても栄養のない「ジャンクフード」ばかり毎日食べていたら、そのうち体を壊します。
ジャンクフードばかりの毎日で、体に支障が出て、「あれ?なんでだろう?」なんて思いますか?
それは当然の結果ではないですか。
頭も同じです。
筋肉と同じで、使わないのによく動くようにはなりません。
毎日適切に使っていれば、すごい高みに行くことも可能です、イチローのように。
今日の1日はどんな未来に続くのでしょう。
書き記しておかないと、「あれ?なんでこんなところに来たんだろう?」と途方に暮れることになるかもしれません。
自戒を込めて。