手帳に書いたスケジュールの変更と、筆記具との相性について

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

自転車で走ると肌寒い夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

手帳やノート使っていると、筆記用具にも目が行きますよね。

 

大きく分けて、鉛筆やシャーペン派とボールペン派、それから万年筆派の三派に分けてみましょうか。

 

もちろんこだわりだしたらきりがありません。

 

鉛筆と言ったって、メーカーや芯の濃さやいろいろです。

 

鉛筆は「ロケット鉛筆に限る」という派閥もあるに違いありません。

 

しかしそんな分派の言い分を聞いていたら、夜が明けてしまいます。

 

なので、特殊な事情はこの際カットして、先に挙げた三派でどうでしょうか。

 

ポイントは、消しゴムで消せるかどうか。

 

と言ったとたんに、消せるボールペンの一派が、ならば我々は鉛筆派ではないのか、それとも新たに消せるボールペン派として独立しようぞと言ってくるに違いないのですが、そもそもが「消せるボールペン」、「ボールペン」と名乗っているではないですか、というわけでボールペン派です。

 

「消しゴムで消せる」というのは、手帳に書いたスケジュールの変更をどうするか、という問題と絡んでいるのです。

 

今ほどスマホなどのスケジュール管理機能が発達してなかった頃は、予定変更を見越して、スケジュールは鉛筆書き派が多かったように思います。

 

これは、自分の好みのペンで筆記するというよりも、予定変更に対処するためには消せたほうがいいという、実に実用的な理由からきています。

 

したがって、ボールペン派というのは、手帳に記入したスケジュールが変更になったら横線を1本か何本か引いて消えたことにして、新しいスケジュールを書くというものです。

 

その消し方がグジグジと、あるいはガシガシとワイルドな分、支持者も多かったように思われますが、手帳やノートの紙面が汚く見えてしまうという難点があったのでした。

 

そんな中、先ほどの「消せるボールペン」の台頭があり、またグジグジガシガシをやめて線1本にすると変更による訂正もさほど気にならず、さらには昨今のボールペンの多様化の流れもあり、手帳やノートに記入するならボールペン派はこの世の春を歌っているかのようです。

 

さてしんがりになってしまいました万年筆派は、独立独歩。

 

文字を書くことが、業務なのか趣味なのかの見極めも難しく、でも、新しい手帳やノート、紙類においては、「万年筆で筆記しても裏写りなし」というのが、その紙製品のクオリティの証しともなっているのです。

 

万年筆で書く習慣がなくても、「この用紙は万年筆で書いても裏写りなしです」と言われれば、もうそれだけで「高級品」とどこかの誰かから、太鼓判を押されたようなもの。

 

万年筆の功績は、こうしたところにもあったのです。

 

しかし近年、「カクノ」に代表される、お手頃価格の万年筆が広く普及し、なおかつ万年筆の特質である、「インクの色を変えやすい、何なら調合して、オリジナルの色を作ることもできる」が「インク沼」へと成長。

 

万年筆も、手軽に持ち運び、すぐ取り出して書いてしまえるカジュアルな筆記用具となったのでした。

 

全体がチャコールグレーな雰囲気の中で、おもむろに万年筆を取り出して、数行書いては吸い取り紙を紙面にはわせる、そんな重厚さはどこへやらです。

 

でも、筆記用具の選択肢が広がったのは良いことです。

 

スケジュールが変更になって、もう用がなくなった「スケジュール」をどうするのか。

 

記念に残すのか、きれいさっぱり消し去るのか、グジグジガシガシと抹殺するのか、まだまだ手帳やノートと筆記用具の組み合わせは、結論を見ないでさらなる選択の広がりへと進むのでしょう。

 

あっ、修正テープというものもありました。