手帳に書くことが長くなってきたら、ノートの出番、補完の関係

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

針金のように細いお月様の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

衣替えはお済みでしょうか。

 

「夏物」、夏だけの衣類というのは僕の場合無いに等しいのに、冬物ときたら、手袋やネックウォーマーなどの小物も入れて、ぎょうさんな品揃えでございます。

 

一そろい装着するだけでも大変。(笑)

 

薄くて軽くて防寒もばっちりで、なおかつ汚れない、冬はこれだけ!てなアウターが欲しいです。

 

手帳だって、これ1冊で大丈夫、というのがあればいいのでしょうけど、それはそれで、書く楽しみというものも減ってしまうような気もいたします。

 

何を書いてもいい、という無駄に広いスペースというのもまた、大切な要素なのでしょう。

 

この項目については、このスペースにしか書けない、というのでは、なんだか窮屈でしょう。

 

でも、それほどの広さを求めない人もいるでしょうから、「どれだけ書くか」というのは、永遠の課題なのだと思います。

 

手帳に関しては、スケジュール欄がきっちりと決まっているので、小さい字で書くにしても、限界があります。

 

今日1日の分はここからここまでというのが確実に決められていますから。

 

毎日ではないにしても、時折りは、たくさん書くことが降ってきても、何とかしてそのスペースに書き納めないといけません。

 

こういう時のために、自由欄、メモページがあるのです。

 

月間のマンスリーだけで、あとはドカンとメモページ、という手帳がそこそこ支持を集めているのは、そういう次第なのでしょう。

 

そして、どんなにメモページが多くても、年間で考えたら足りなくなるのも必定。

 

こうして人は、手帳以外に雑記帳よろしくノートを活用するのです。

 

もちろん、付箋やメモ用紙を手帳に張り付けて、書くスペースを拡張することもできますが、下に書いたことがめくらないと読めないとか、どこまでも拡張はできないので、ここはやはり、新たにメモ帳もしくはノートを用意することになりましょう。

 

そのノートは、手帳の補完ですので、手帳と同じ大きさか、幾分小さめの方が、携帯にもまた筆記にも、それから補完であるという心理状態からでも、ふさわしいのではないかと推察します。

 

手帳がA5で、ノートもA5に揃えると、A5版のカバーに、2冊挟みこめるので、ページ数の多いものでなければ、同時携帯が可能です。

 

かなり分厚い、『ほぼ日』くらいになると、特にA5サイズのカズンでは、携帯をあきらめて、デスク用にしている人も多いでしょう。

 

いわゆる、母艦手帳です。

 

それでも、意地で持ち歩くか、さもなければ、空母の艦載機よろしく、軽くて薄い手帳を「代理」として持ち運ぶという手もあります。

 

その際は、記入漏れやダブりなどに、細心の注意を払わねばなりません。

 

手帳の補足のメモも、書くのに慣れてくると、字数が増えるのは理の当然。

 

だんだん書く字数というかスペースが、広くなってくると思います。

 

でもそれはいい傾向です。

 

手帳やノートに向かっても、今日を思い起こしても、何も書くことが浮かばなかったのに、書くことにあるいは思い出すことに慣れてくると、簡単に済ませていたことでも、詳細に書けるようになるものです。

 

そんな風に、日を追うごとに書ける量は増えるのですから、保管のつもりのノートなどでも、最初から分厚いのを用意するよりは、薄手のを用意して、どんどん書いていけばいいと思います。

 

ノートを1冊書き上げた達成感は、結構誇らしいものです。

 

やるじゃん、自分、ノート1冊書いちゃったよ。

 

自分を丸ごとほめるのが難しくても、そんな風にして、何かしらの部分をほめるようにしても、自己肯定感は上がるでしょう。

 

これまでの書きぶりと比べないで、ただただ今日の書き方をほめましょう。

 

手帳は単なる記録ではなくて、自分が生きた証しなのですから、どんなに少なくてもどれほど短くても、書いたことを認めましょう。

 

たとえ、昨日は1ページ書けたのに、今日は1行だけだという日でも、

 

 

「今日、手帳を1行書いたよ!これはすごい、このままいったらたいへんなことになるぞ! 」

 

 

くらいに持ち上げてもいいと思います。

 

もちろん、何も書けなくても、

 

 

「今日は手帳を見る日だ、だから見た、これで大丈夫だ」

 

 

と書いてもいいし思っておいてもいいのです。

 

手帳は逃げずに、いつでもあなたの手書きを待ってますから。