「できないこと」には目をつむりましょう、自己肯定感を育てるために

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

空気が冷たい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

ほとんど快晴だったのに、空気がやたらと冷たい。我慢できないほどに。

 

なので、冬のお出かけスタイルとあまり変わらんかった。

 

とあるビジネス書を読んでいたら、一日の最後に次の4点を振り返るとありました。

 

 

 

① 今日良かったこと、できたこと。(客観・事実)

 

② なぜできたのか。(主観・感想)

 

③ その日良くなかったこと、できなかったこと。(客観・事実)

 

④ なぜできなかったのか。(主観・感想)

 

 

 

極めて常識的な振り返りだとは思いますが、③と④はこの際無視してもいいと思います。

 

というより、はじめから除外してとらえましょう。

 

できるところは伸ばす、できないところは直す、というのが苦しみの始まりだから。

 

正解は、できるところは伸ばす、できないところは許す、だと思うのです。

 

さらに言うと、できないところは「誰かに手伝ってもらう」

 

僕たちはあまりにも、「一人でちゃんとできるようになりなさい」という洗脳を受けてきているので、「できない自分イコール悪」のようにとらえがちです。

 

でも、なんのために個性というものがあるのでしょうか?

 

本当に、みんなが同じようにありとあらゆることをできるようになるのがいいのなら、そのように人類は進化してきてもよかったはずです。

 

でも実際には、いろんな人がいます。

 

走るのが早いとか、手先が器用だとか。

 

手先が器用と言っても、いろんな器用さがあります。

 

栗のイガを外すのが得意な人もいれば、針仕事が上手な人もいるでしょう。

 

生存のために、あれこれの仕事や作業をどうしても一人でやらないといけないのだったら、基本的なサバイバルはできるくらいのスペックになっていてもいいのではないでしょうか?

 

でも実際には、魚をさばけない人もいるし、魚はさばけるけど、田植えは下手という人だっているでしょう。

 

もちろんその両方ができてもいいですけど、できなくても構わない。

 

だって、人類ははるか昔から、共同生活です。

 

おそらく、「お前は狩りが下手だからあっちに行け」ということにはならなかったのではないかと考えます。

 

「お前は狩りは下手だけど、ドングリの皮むきはうまいからそっちをやれ」てな配置になっていたのではと想像します。

 

だって、みんな大切な構成員ですから。

 

そいつの個性というか能力が活かせる場面がきっとある、そんな考えでないと、集団を維持できなかったでしょう。

 

みんなが同じことを同じようにできる、そんな集団は、たぶんイレギュラーな問題には対処できない。そんな風に思います。

 

「みんな違って みんないい」と金子みすゞさんも歌っているではありませんか。

 

僕たちは、例えるならジグソーパズルのワンピース、でっぱりとへっこみがもれなくついてます。

 

でっぱりは長所、得意なこと、好きなことで、引っ込みは、嫌いなこと、できないことです。

 

そして、社会に参加するというのは、そのでっぱりを社会に差し出して仲間になるのです。

 

引っ込みは、そのうち誰かが埋めてくれます。

 

かくして、個性的でどんなことにも柔軟に対応できる集団が出来上がるのです。

 

自分の得意分野に意識を向け続けること、自分はどんなことで貢献できるのか、そこを具体的に考えること。

 

そのことが自己肯定感にもつながっていくでしょう。

 

「できないこと」を指摘されたら空とぼけましょう。

 

「ああ、そんなこともありますよ」