コロナの後の「これから」のために、自分の棚卸を
こんにちは。
てらぴーだよ。
もう冬のジャケットはいらないねの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
今回のコロナ禍もそうですが、何か大事件とか大災害などが起こると、それまでの社会や生活の正体とでもいうものがあらわになることがあります。
これまで私たちは、どんな社会に生きていたのか、どんな社会を作ってきたのか、「普段」なら、当たり前として見過ごしてしまうようなことが、突きつけられてくる。
半ば無意識に、見ないふりをしてきたけど、実態はこうだったじゃないかと問うてくるもの。
仕事にしても、人間関係にしても、政治や経済も、教育や子育てなんかも、コロナ禍の渦中だから特別に「問題」として取り上げられるけれど、コロナ禍が収まってしまえば、元の穏やかで順調な「日常」に戻る、というものではありますまい。
特に、働き方や、教育・子育ての在り方、そして社会の中での個人の生き方などは、大きな変革が望まれるところでしょう。
「この波に乗るしかない」をギャグにしないで、積極的に関わりましょう。
もしかしたら、「自分の好きなことを仕事にできる」チャンスとなるかもしれないので。
やりたくもない仕事を我慢して勤め上げたところで、手に残るものはたかが知れてます。
「人生100年」というフレーズの流行には、「だから80歳ぐらいまでは働けるでしょ?働けるんだから年金はいらないよね」という日本国政府のみみっちい思惑が見え透いているようです。
なおさら、自分の得意や好きを実現させてみましょう。
その第一歩が、自己分析。
自分は何ができるのか。何が好きなのか。何をしていると幸せなのか、自分ではそれほどとも思っていないのに、人から「すごいね」と言われたことはあるか、それは何か。
そうした自分の特質を書き出してみましょう。
ただし、「他人が自分に期待すること」でも、自分がワクワクしないのだったらリストから外すことです。
他人の人生を生きてはならない。
「できる」ことをすべて、取り上げる必要はないのです。
そうして今度は逆に、自分の不得意も書いてみましょう。
自分ができないこと、できるけど苦痛を感じること、あまり好きでもないこと、逃げたいこと。
でも、そうしたことは、マイナスとか弱点ということではありません。
ダメな部分だから何とかしなくてはいけないことでもありません。
というか、手を出してはいけないことなのです。
「できない」とか「不得意」を自分で人並み以上にしようとすると、時間もかかるしメンタルもやられるし、場合によっては周りの人の迷惑にさえなります。
そこは何とかする分野ではなくて、できる人にお任せの部分です。
あなたが苦手と思うことでも、他人から見たら朝飯前といったことはいくらでもあります。
あなたが時間をかけてストレスを高めて、でもミスだらけの仕上がりでも、できる人ならちょちょいのチョイなんてことも当たり前の事実です。
でもそれは、どっちが優れているとか劣っているということではありません。
ただただ個性が違うというか、能力が異なるというか。違うだけです。
相手から見たら、あなたができることの方がすごいと感じているかもしれません。
みんな等しく同じ能力で仕事をしよう、というのはもう過去の仕事観でしょう。
そうなるべきだしそうなりつつあると思います。
ポストコロナかアフターコロナかwithコロナか知りませんけど、とにかく「これから」を楽しむためにも、自分と向き合って、自分の特質をはっきりさせましょう。
好きや得意でつながると、生きやすいと思いますから。