お家時間が増えた分、ノートに欲望を書き連ねて、エネルギーをためよう
こんにちは。
てらぴーだよ。
終わらないコロナ禍の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
郵便局に行ったら、窓口の職員さんとの間に、透明なビニールシートが張られていました。
一瞬ひるんだものの、「非常事態宣言」が出されたので、ここまでするのですね。
それから買い物に行ったスーパーでも、レジのところに同じようにビニールシートが張られていました。
レジの方は、マスクは当然として、青い手袋までしています。
なんだか現実味のない、どこかほかの星に来たような不思議な違和感でした。
最後に立ち寄ったイオンでは、ビニールシートはなかったものの、足元に足形の紙が貼ってありました。
「ここでお待ちください」と書いてあります。
前の人との距離をあけて、密着しないように、という配慮なのでしょう。
以前なら、集中して本が読みたいとか、考え事をしたいという時には、たいていカフェやミスドに行っていたものでしたが、そうした選択肢はありません。
外出そのものも、「これは生活必需品の買い物だから」などと、自分に言っているのかだれかに言い訳しているのかわからない独り言をつぶやいて、外に出られているような状況です。
そのうち、一人でぶらぶらしていると、「そこの男性の方、止まりなさい」などとおまわりさんから呼び止められるようになるのでしょうか。
そして、運が悪いと、「外出反則切符」を切られたりして。
現実はまだそこまでは行ってませんけど、家にいることが比較的多いので、ストレスを感じたり、「うつ」になったりと、2次災害みたいな事態も増えてきているようです。
コロナ禍が収まったら、一度みんなで集まろうという手紙を書こうかとも思っています。
以前なら、気安く「今度ご飯食べよう」と言えたりしたのですけど、今は休業や営業時間の短縮が増えていますし、やはり密な空間にはいたくない。
お店の前にも、「テイクアウトできます」の張り紙をあちこちで見かけます。
結局は、一人で自室にこもるしかありません。
せめてはノートを出して、欲望を書きなぐりましょう。
途中で止まっていた「死ぬまでにしたい100のこと」を書きつぐとか、目標の見直しをノートに丁寧に書くとか、スケジュール帳の新しい使い方を考えるとか、ストレスを和らげる自分なりの方法を考えるなど、ノートに向かってできることはいろいろありそうです。
そうそう、書こう書こうと思っていて後回しになっていたものに、「終活」ノートがあるんでした。
これは言わずと知れた、自分が死んでしまった後のことを託すノート。
たいていは財産分与とか、僕にはほとんど関係ないことですが、それでも、「死んだらこうしてほしい」というのは多少はあるので、ちゃんと文字にしたいと思っていたのです。
それが延び延びになっているので、そろそろ覚悟を決めて、書かないとね。
辛酸なめ子さんのエッセイに、イタコの人に頼んで、死んだお姉さんの霊を呼び出してもらって、パソコンのパスワードを聞き出す、というのがありましたけど、なんか違いますよね。
とは言え、パソコンの中身とか、勝手に見られたくない。
特に閲覧履歴。
でも本人はもう死んでいるのだから、関係ないですが。
いやいや、そんなことより、現世に執着しましょう。
まだまだやりたいことがあるので、ここで終わるわけにはまいりません。
とか言ってて、今夜急死して、明日からこのブログも更新が終わったら、でもまあ、すぐに忘れ去られるのでしょう。
それはそれでさみしい。
違う、執着だ。
食べたいもの、行きたいところ、やりたいこと、見たいもの、聞きたいもの、会いたい人、手に入れたいグッズ、書きたいテーマ、発信したいこと、一人ノートに向かっていれば、どんどん出てきます。
未練があるって、素敵ですよね。