引きこもるのなら、メモ帳付きの瞑想はいかが?
こんにちは。
てらぴーだよ。
田んぼに水が張られてカエルの声が聞こえだした夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
コロナウイルスで、何もかもが停滞していると思ってたら、田植えの季節です。
水田て本当にきれい。
一面に鏡のように水がたたえられて、すぐそばに民家とか街灯なんかが並んでいたら、明かりが反射して、ある種幻想的な風景が現れます。
田植えまでのひと時のイリュージョン。
そして、カエルの声。今までどこにいたのか?と思うほどの大合唱がこれから始まるのです。
コロナとは関係なく進められている自然の営みの確からしさ。
さて、今夜も手帳を開いて、今日の成果を確認しましょう。
明日からのスケジュールも確かめましょう。
とはいえ、コロナ禍が収まらない中でのゴールデンウィーク、お出かけはしばらくおあずけでしょう。
久しぶりにあそこへ行ってみようとか、あのお店でランチがしたいとか、あの店で新製品がないか探したいとか、そんなささやかな計画も立てられなくなりました。
フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりにも遠し
せめては新しき背広を着て
気ままなるたびに出でてみん
てな感じで詩人は歌いましたけど、今の僕たちは、あそこがダメだからこっちに行こうということができない。
せめては、お家に引きこもって、本を読むか、ネットに沈殿するか、あえて室内で運動してみるか。
まあ、せっかくの機会なので、メモ帳とペンを用意して、内面への旅に出でてみん、というのはいかがでしょう。
いわゆる、瞑想、マインドフルネスをやってみるのです。
途中で寝ちゃっても気にしないで、座り方も自己流で、ただ背筋は伸ばしたほうが、呼吸もしやすいし、楽に座り続けることができると思います。
普段なら、まずそんな時間を持つことが難しい。
たとえ土日であっても、お休みが続くとしても、「あれもしたいここにも行きたい」欲望が渦巻くし、友人と約束したりすれば、もう自由にはなりません。せっかくのお休みなので、何もしないどこにも行かない、というのができない。
お休みの最終日ともなれば、明日からの仕事も気になって、落ち着いて瞑想なんてできないでしょう。
けれども今回は、時間も気にせず、外出しないので罪悪感もなく、つまりは落ち着いて座ることができるというものでしょう。
最初は10分でもいいので、何回もチャレンジしてみましょう。
間に休憩なんか挟んで、半日か1日を瞑想に使うのです。
「何もしない」をするなんて、贅沢な時間だと思います。
そして、メモ帳を用意して、浮かんできたことで印象的なこととか、気づいた事なんかを書きとめましょう。
それが次の瞑想に生かされてきますから。
長時間(もちろん休憩もして)座っていると、自分の癖みたいのも出てきます。
体のある分が痛くなったり、呼吸がしにくくなったり、逆に、調子よく、集中できたり、何かしらのイメージが浮かんだりといったこともあるでしょう。
そんなこんなを書きとめておけば、結構面白い記録となりますよ。
呼吸は、生きていくうえで欠かせないものなのに、自分である程度コントロールすることができます。
それも呼吸の不思議なところ。
血液の流れるスピードも、変えることはできません。
消化を遅らせることもできない。
生命維持に関わっているのに、呼吸だけが、ある程度自由になって、その質を変えることができる、ということの中に、何かしらの真理が含まれているように思います。
つまり、呼吸を深めることで、生きる力そのものを活性化できるのではないか、その方法が瞑想なのではないか、そんな風に思うのです。
でも、ただ座っていたら、そのまま尻切れトンボのように、しなくなるかもしれないので、気づいたこと、頭に浮かんだことなどをメモ帳に記録して、続ける工夫としたいものです。