1日の振り返りに「反省」よりも「許し」を
こんにちは。
てらぴーだよ。
アベノマスクが届かない夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
散歩に出ると、マスクをしていない人も見かけます。
安心なのか、気のゆるみなのか。
行動の背後には、その人の価値観が現れます。
僕たちは日々、様々な行動を選択しています。
そのすべてを日記などに記すことはできませんが、1日を振り返り、「これは」と思うものは書き記していきましょう。
うまくできたものから、改善が必要なものまで。
ただし、反省、すなわち悔んだり自分を責めたりは不必要でしょう。
気づいたら、受け入れて、直せるものなら注意すればいい。
ここで自分を責めると、ろくなことになりません。
というか、元気がそがれてしまう。
マンスリーでもウィークリーでも、日記でも、日々の行動予定とその結果を書き記すのは、もっと上手にできるようにとか、自分を励ますためもあると思うのです。
書きながら、「ああ、またやっちゃった」なんて思うことはしばしば。
誰にでも「あるある」ですよね。
すぐに直せるものもあれば、なかなか直せないものとか、もうほとんど自分の一部になっていて、直すのが難しいこととか、あるいは無自覚にしでかしている「失敗」も(本人に見えていないかもしれませんが)あることでしょう。
「反省」には、どこか、「前向きに取り組んでいます」という姿勢が感じられる分、厄介なものだともいえるでしょう。
実際はそんなことはなくて、ただひたすら自分のふがいなさを感じてしまうのです。
「反省」よりも「許し」を。
手帳やノートを開くたびに、元気が出るものと、打ちひしがれる気分になるもの、どちらを選びますか?
それは、選んでいいのです。
仕事であれ日常の、洗濯のような作業であれ、その目的は、自分を快適にすることだと思うのです。
そのことをすることで、自分が元気になっていく、そんな仕事であり、日常でありたい。
その会社に出勤するたびに、そこで働いている人たちが元気をなくしてしまうのだったら、何かがおかしい。
洗濯をすればするほど、生きるのが嫌になってくる、というのなら、洗濯がおかしいか何かがずれてはいまいか。
今日は昨日より元気ですか?
そんな質問を自分に投げかけて、毎日の生活でずれているものがないか、このままでいいのか、問い直してみましょう。
コロナ禍は、社会のほとんどあらゆる場面で、「このままでいいのかよくないのか」
To be or not to be
を突き付けています。
仕事の仕方、あり方、自分の生活の詳細に至るまで、「当たり前」などはないのですから。
「サラリーマン」が登場したのは(国民の大部分を占めるようになったのは)、戦後のことです。
「学校教育」だって、100年かそこらの歴史。
今ある「当たり前」の引力に引き寄せられて、「そうしなければならない」と試合放棄しないよう気をつけたほうがいいと思います。
情報化社会の中では、自分の考えを育てにくいのかもしれません。
でもあきらめないで、手で書くことで、自分を見失わないよう気をつけたいものです。