日記、家計簿などに、「今」を閉じ込めよう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

久しぶりに夕焼けを見た夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

夕焼けを見ることを日課にしてみたい。

 

評論家の松山猛さんが、「夕焼け評論家」を名乗ってらして、「やられた!」と思ったものです。

 

風情があるのは、朝焼けよりも夕焼けですよね。

 

毎日の生活の中に、何かしらの定点観察を取り入れてみたい。

 

さて、週末にして月末です。

 

6月に入ると、生活も変わるのでしょうか?

 

それともいよいよ本格的な「新しい生活」が定着していくのでしょうか?

 

コロナ前と比べて、変化したけど捨て去っていいこととか、その変化を日常に定着させていかねばならないこととか、今しばらくは混乱が続くのでしょう。

 

考えてみたら、世界史的な変貌の真っただ中にいるわけです。

 

歴史の証人となりましょうか。

 

その時代を生きた人にインタビューして、歴史像を再構成するという、「オーラルヒストリー」という手法があります。

 

歴史家が、いわばルポライターやジャーナリストのように当事者に取材するのです。

 

あなたが書き記したコロナ禍の時期の日記なんかも、何十年とか百年以上後の未来では、貴重な歴史資料として、重宝されるかもしれません。

 

何しろ、同時代史料となるのですから。

 

こうした時には、ほっといても残りそうなものよりも、取るに足りないものとして見捨てられる様な資料に価値があるでしょう。

 

例えば、新聞記事は、どこででも保存されるので、たぶん半永久的に残るでしょうけど、コロナで自粛中の新聞折込のチラシなんかだと、まず保存されないものと思われます。

 

したがって、チラシなんかを残しておくと、あの時代のこの時期に、物価はこんな風だったとか、コロナで自粛中のスーパーでこんな対策が取られていたということをうかがい知る資料としては、貴重なものとなるでしょう。

 

公的な機関が残さないことがらであり、しかも普通の人々の市井の暮らしがうかがえるからです。

 

同様に、政府の関係者などの行動記録は残っても、庶民の生活は公的には残りにくいものです。

 

そこで、そういった普通の国民の生活が分かるものを残しておけば、貴重な資料として博物館などに納入されるかもしれません。

 

例えば「アベノマスク」。

 

あれを未使用で、「アベノマスク」であることが分かる公文書なんかと保存しておけば、数十年後には、思わぬ高値がつくかもしれません。

 

コロナ禍で大変な時期に、庶民の生活を綴った貴重な資料。もしかしたら、あなたの書いた日記が、そのような評価を受けるかもしれません。

 

ただし、何百年後かになるかもしれませんけど。

 

そこまでいかずとも、今の生活ぶりを事細かに残しておけば、数年後でも、あの頃はこうだったという昔語りで、盛り上がることでしょう。

 

大きな出来事は記憶に残りますが、ルーティンなことは、記憶のかなたに埋もれてしまいがちです。

 

でも、そのルーティンなことほど、後で振り返ってみて愛おしい気持ちになるものです。

 

日記やスクラップ、家計簿などで、生活を残しましょう。

 

10年経ったら別人になって、書いたことさえ忘れているかもしれませんよ。

 

そうなればそうなるほど、おもしろいのが日記というものなのです。