手帳の紙にも、自分のこだわりを反映させてみる
こんにちは。
てらぴーだよ。
梅雨明けもおあずけな夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
それほどの高機能であるという認識はないものの、私たちの感覚というのは、かなり繊細なものではないでしょうか?
大工さんのカンナ掛けは、それこそ0.1ミリ、あるいはそれよりも薄い違いを機器の計測を待たずに、手で触ることで感じ取ったりします。
職人に限らず、その道のプロと言われる人たちは、体をセンサーにして、感覚を研ぎ澄ませてきたのでしょう。
体がすでにして、認識装置になっているのです。
脳が感じるのを待たずに、答えが出てしまっている。
けれども、体で何かを測っているというのではなく、ただ感じているのでしょう。
その感覚が、時に機械よりも繊細で、数値に還元できない微細さを感じ取っているのです。
AIは、体を持たないがゆえに人間を超えられないと言われるのも、無理からぬことなのでしょう。
普段使っている紙の薄さ厚さだって、少し慣れてくると、触っただけで分かります。
コピー用紙の厚さとかに慣れていると、外でコピーをしたときに、どのお店が薄くて、どのお店が厚い紙なのか分かります。
同じ「5円コピー」でも、あのスーパーは、たぶん事務所のと同じ紙を使っているから厚めの紙で、あのお店のは経費削減なのか、薄い紙を使っているということが分かるのです。
図書館で借りてきた書籍をコピーするときに、あんまり厚さが不ぞろいだと面白くないので、本のコピーはこのお店で、なんて決めることができます。
ノートなんかでも、値段もそうですけど、紙の厚さや手触りなんかも気になるところです。
あまりに紙が薄いと、裏写りしてしまって、使い勝手がよくありません。
また、厚いけど、手触りがよくなくてざらざらしていて、水性ペンなんかだとにじむのではないかと思うような紙質のものがあったりします。
逆に、近年評判の、薄くて裏写りしにくい、「トモエリバー」に代表される紙が、手帳用紙として採用されてます。
厚さとは離れますが、いわゆる古紙が混ざるようになって、紙の白色度というんでしょうか、白さの度合いも変わりました。
色合いとしては、真っ白から、わら半紙のようなベージュ色へと全体的に変わった印象があります。
古紙配合以前は、もう少し白かったような印象です。
コクヨの「測量野帳・スケッチブック」も、真っ白だったと思いますけど、今は少し色がついている感じです。
それが全体的な流れなのでしょう。
あまりに真っ白だと、かえって光を反射して見づらいという意見もありそうです。
ほんの少し色、黄色やベージュっぽい色合いのほうが、目にも優しいのでしょう。
目に優しいと言えば、緑、グリーンです。
光の刺激に対して過敏な人向けに、商品化されていますよね。
こうした紙の色合いや手触り、それから、めくった時の感触。
ノート、手帳全体の重さを中心とした質感、そんなものが合わさって、手帳の書きやすさを構成しているのでしょう。
ですから、手帳やノート・メモ帳なんかは、実際に手に取って、パラパラめくってみないと、その質感というものは伝わってきません。
できれば実際に、「ぐるぐる」とかではなしに、文章を書き綴ってみないと分からないのかもしれませんけど、実際に書けて試せる手帳は、コーナーに数冊でしょう。
博覧強記の大作家・丸谷才一さんは、万年筆の試し書きには、いつも漢詩を書いていらしたとか。
ならば我々も、漢詩の1行くらいは暗記して、試し書きに臨むのもありかな、と。
まあ、そこまでしなくても、何かの折に、気に入った詩文とかそらで書けると、かっこいいよね。
紙に手書きというけれど、その紙にこだわるのも、また楽しみの一つなんですよね。