今まで見てなかった、「自分の生活」を探してみましょう
こんにちは。
てらぴーだよ。
薄曇りで涼しい夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
セミの声は次第にフェードアウト、夜ともなれば、コオロギがよく鳴いております。
この虫の声、心地よいとか風流だなあと聞いているのは日本人で、欧米人は「脳の構造」が異なるので、ただの「騒音」にしか聞こえない、という話しを聞いたことがあります。
同じ「空気の振動」なのに、脳の中での電気信号のとらえられ方が、違うのでしょうか?
コオロギといえば、無印が、コオロギの粉末入りのクッキーだかビスケットを販売していて、好評なのだとか。
意外と多い昆虫食。
貴重なたんぱく源となるのでしょうか?
今まであまり目を向けてこなかったところに注目すると、意外な効用が見えてくるのでしょう。
私たちの生活にも、そんなことろがあるのかもしれません。
日記を書いたり、手帳でスケジュールを確認したり、それがルーティンになっていればなっているほど、ほとんど自動書記みたいに書き込めるのかもしれませんけど、実は見落としている側面があるのかもしれません。
1日のうちで、あれとこれを書くと決めていれば、そのことについては、すぐに書けるけれども、それ以外のことに関しては、盲点みたいに視野に入ってこない状態に陥っているかもしれません。
何を食べたのか、食事については書くけれども、それがルーティンになっていて、そこで思考が停止状態になる。
どんな気分で食べたのか、そもそもその食事はおいしかったのか。
「12時半:ランチ」とだけ書かないで、メニューだったり(これは書いている人が多そうだ)、その時の感情なんかも書き加えるようにするといいと思います。
さらにその前後で、今まで書いてなかったことはないか、行動していたはずなのに、見逃していたことはないか、探してみるのも、いい振り返りになると思います。
ともすれば、今までの書き方が、生活のすべてをフォローしていると思い込んでいたのかも。
でも、手からこぼれ落ちる水のように、すくってこなかった生活のワンシーンみたいなことがあるかもしれません。
タスクをこなした、食事をした、こんなことがあってこんな感情を感じたなどなど、これまで書いてきたそれら以外の「出来事」が埋もれているかもしれません。
それは、もしかしたら、生活の中の小さな変化かも。
そしてそれをうまくとらえることで、日常をさらに快適にできるかも。
ルーティンとは言いますが、毎日同じではないでしょう。
「老化」だって、確実に進んでいるはずです。
何が同じで何が違うのか。
たぶん、同じご飯を食べていても、その日によって味が微妙に違うはず。
また、食べている自分の体や心の状態も違うはずです。
今まで気づかなかったけれども、変化の兆しのさらにその前兆が、「ここ」にあった、そんな「ここ」を見つけられるかもしれません。
諸行無常、自分も世界も一瞬たりとも同じではありません。
なにがしかの変化のさなかにある。
その変化に無自覚でいるよりも、嗅ぎ取れる鋭敏さを持ちたいものです。
「今日、日記に何も書くことがない」と思ったら、それは見つけるチャンス。
朝起きてから今までの自分をスキャンして、「こんなことがあった」「これって、昨日と違うよね」といった発見をお楽しみください。