手帳の移り変わり、住所録
こんにちは。
てらぴーだよ。
ウロコ雲が秋を感じさせる夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
自転車を飛ばして、少し離れた本屋さんに行きました。
やっぱり手帳は、実物を触ってみないと、その質感が分かりません。
この時期、行くたびに種類が増えていくのも、うれしい発見です。
メーカーによって、発売時期が微妙に違うのでしょう。
いつ始まりなのかもずれていたりします。
この時期なら「9月始まり」とか「10月始まり」が多いかもしれませんが、この時期なのに新年度始まりがあったりしますから、油断ができない。
きれいに、ということは日にちのダブりなどなしに、手帳の交代ができれば申し分ありませんが、同じ手帳を使っていても、手帳の交代時期が1か月とか、場合によっては数か月重なることがあるかと思います。
この時期は、ですから、手帳の新旧交代の時期で、今使っている手帳の中の、大切なデータなどを書き写していたのです。
その昔、1番の書き写し項目と言えば、住所録でした。
最近の手帳では、無くなっていることの方が多い「住所録」。
もちろん、手書きでした。
それを、手帳が新しくなるのを記念するかのように、年末の一大イベント、「年賀状」のために、ちまちまと書き写していたのです。
なので、住所録を書き写し始めると、「もう1年経ったのか」という感慨にふけることができました。
季節の行事だったわけです。
住所録を新しい手帳に書き写す、ということは、しばらく新旧2冊の手帳を携帯しなければならないということをも意味していました。
昔は割と、季節のことだから、年賀状のためだから、これが手帳が新しくなったという儀式なのだから、このことでこの新しい手帳が自分の手帳なのだと実感できるのだから、などという理由で、広く受け入れられていたようにも思います。
時は移り、令和。
もう年賀状も手帳の住所録も、手書きを離れてデータの世界に行ってしまいました。
パソコンに入っているデータなら、書き写す手間もなく、修正もあっという間、簡単にプリントアウトもできます。
あるいはスマホ。
かさばる紙の住所録を持たなくても、スマホに入れておけば、いつでも見れます、というより、その人の住所が出先で必要になる機会そのものが、無くなってしまっているのではないでしょうか?
スターバックスで年賀状書いている人もいませんよね。
というわけで、昔は手帳のおしまいの方に必ずついていた住所録。
別冊になっているのもありました。
そんな住所録、手帳の中でますます「おまけ」になっているのではないでしょうか。
時には、その「おまけ」が、本体を凌駕する魅力をたたえる時もあったのに、手帳の住所録は、その役割をほとんどスマホに譲っているのでしょう。
時には、住所録だけで1冊のノートになった時代さえあったのに。
時代の流れの中で、手帳の構成もまた、変化していくのです。
手帳の交代のこの時期、数か月にわたって、自身の手帳の使い方とライフスタイルの整合性を考え直すいい機会だと言えましょう。
新しい手帳は毎年開発されています。
自分の生活とぴったりマッチした手帳を夢見て、手帳売り場を徘徊することは、この時期の紳士のたしなみだと言えるのではないでしょうか。(そんなたいそうなこと?)