生活していたら改善点も見えてくる
こんにちは。
てらぴーだよ。
銀杏(ギンナン)を拾っている人を見た夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
銀杏(イチョウ)の木は街路樹だけでなく、神社でも見ることができます。
神社のは、パワースポットにあるせいか、大人数人でも抱えきれないほどの幹を誇っています。
散歩の途中で、神社を見ていたら、軽トラで乗り付けたおっさんが入っていきました。
「お参りかな、感心だな」と思ってみていると、レジ袋を取り出して、何やら前かがみの姿勢。
「ああ、ギンナンか」
そういえば、ここの神社はイチョウの木が何本も威容を誇っています。
何年か前、境内に入ってみると、足元はギンナンだらけ。
そうかと思うと、別の街路樹のところでは、おばあさんたちが競うように拾ってたりしてました。
ギンナン、実はあんまり好きではない。
年に1,2回、茶わん蒸しでお目にかかるくらい。
あんなに硬い殻に包まれているのだから、もっとすごい効能があってもよさそうなのに。
でもこうやって、季節を感じられるのはいいことです。
あなたは、何で季節を感じますか?
手帳が書き進められるにつれ、季節も移り変わりますが、生活上の課題みたいなものも、露わになってくることがあるでしょう。
自分でこうしようと決めたのに、何かがうまく働いていない、したがって、成果も今一つである、なんてことが、見えてくると思います。
そうした問題点や改善点も、紙に書き出すことで解消へと動き出せるでしょう。
ただ、人間というのは、慣れる動物でもあるので、多少の不便でも、時にはものすごい障害でも、「これが当たり前なんだ」と思い込むあるいは思い込まされることで、問題点とは感じられてないこともあるようです。
昨日、片づけをしていたら、2年前に書いた自分あてのメッセージが出てきました。
B6の紙に、こう書かれていました。
「いつまで奴隷でいるつもりだ」
その当時、アルバイトで、しかも人間関係などうまくいかなくなっていて、でも、とりあえず収入はあったので、「やめる」という選択肢が見えなかったのでしょう。
あるいはぐずぐずしていたか。
そこで、紙に大きめに自分へのメッセージを日付けも入れて書いたのでしょう。
その後、バイトはやめてます。
やめたことによるプラスマイナスはいろいろありますが、でもやめて正解。
あのままぐずぐずしていたら、いろんな機会を失っていたことでしょう。
もちろん、先延ばしにするメリットもあったでしょうが、それは考えません。
「もしかしたらこんないいことがあったかも」というのは、仮定の上の仮定なので、意味がないからです。
そんなのいくらでも広げることができるでしょう。
でも根拠はありません。
生活のすべてを根本から変革するのは大変だとしても、部屋を区切って少しづつ掃除するみたいに、小さな改善を重ねるほうが、動きやすいと思います。
掃除が必要な区域を「玄関」「洗面所」「トイレ」「お風呂場」「リビング」「台所」「寝室」などと区切って、掃除のローテーションを組むように、今自分が何とかしたい生活上の案件も、いくつかに分けて考えてみてはいかがでしょう。
あるいは、時間軸で分けて、「朝の課題」とか「夜の改善」「寝る前の儀式」というふうに分けてもいいかもしれません。
ポイントは、「これはこれで当たり前で変えられない」という意識をなくすことです。
「ここは聖域」を作らない。
生活の在り方をさらに快適にするためにも、手帳やノートに一役買ってもらいましょう。