コロナがさらしたもの、高度成長は果たしてよかったのか?
こんにちは。
てらぴーだよ。
さらに積もるのかの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
やはり記録的な暴風であったか、昨日のは。
輪島で、観測史上1位の瞬間最大風速を記録したそうな。
これから明日にかけて、大雪の予報。
今朝なんて、あちこちで雪かきの光景が見られました。
3連休なのに、雪かきで終わるのかしら。
車道は、融雪装置や除雪車など大雪に対処できてますけど、歩道はそうはいかない。
小型の除雪車や人力が頼り。
幹線道路の歩道はことごとく、除雪が進んでいて、今まさに除雪のさなかという光景にも何度も遭遇しました。
耕運機のような除雪車で除雪している方には、感謝するばかりです。
山沿いの集落などでは、大学生などによる除雪ボランティアも行われていますし、あまりに降雪がすごい時には、自衛隊が出動することもあります。
今季はまだそれほどでもありませんが、数年前の大雪の時は、除雪をする人たちが徹夜に次ぐ徹夜でかなり大変だったようです。
こうした、人々の生活を支えている人たちは、もっと注目されていいし、報酬も2倍3倍に上げてもいいのではないかと思います。
コロナ禍で、働き方が見直される機運が高まっていますが、暮らしを支えている仕事にも注目が集まりました。
その一方で、なんのために存在するのかその現場で働いている人たちにも分らない「ブルシットジョブ」(くそったれな仕事)が話題です。
その仕事がなくなったら、多くの人の生活に影響する仕事と、無くなってもさほど困らない職種。
コロナはそんなところにも、容赦なく光を投げかけました。
本当に大切な仕事とはどのような仕事であるのか、そこで働いている人たちはその重要さに見合う報酬を得ているのか。
働くことで、きちんと幸せになっているのか。
かつての、高度経済成長は、確かに日本を「経済大国」へと押し上げましたが、その復興の中で培われた「働くということ」についての考え方は、果たして「正解」だったのかどうか。
素直で従順で、そこそこ賢い、粒のそろった「労働力」を育成するのが目標の「学校」というシステムを巻き込んで、日本は「豊かな国」になったはずなのに、それに見合う幸せを果たして手に入れてきたのかどうか。
「失われた30年」と言いますが、何が失われてきたというのでしょう。
もしかして、その「失われたもの」を取り戻すのに、当時以上の「残業」や「休日出勤」「過労死」に「専業主婦」「満員電車」などなどを受け入れなくてはならないのでしょうか?
「お前の代わりはいくらでもいる」という「文化」は、いつまで健在なのでしょう?
働き方が問われているということは、それまでの「生き方」が問われているのではないでしょうか。
映画や漫画でおなじみの『3丁目の夕日』が描く高度成長の時代は、確かに「夢」があったとは思います。
日本はもっと良くなる、日本はもっと明るくなる、日本はもっと豊かになる、そう思い続けて、手に入れられるものを手にした時、人々を包んだものは「こんなはずじゃなかった」という虚無感ではなかったか。
ですから、『アキラ』に見られるように、近未来の世界を描こうと思ったら、それまでの日本、ないしは世界には、「一度滅びてもらうしかない」
当時の「今」の社会の延長に、未来は描けなかった。
コロナは収束するのではなく広がり続けるでしょう。
けれどもそれは、僕たちの社会のありようをかなり深いところからとらえ直すという点では、大いなる進歩であると思うのです。
根本からのとらえ直しにドキドキしませんか?