独学の基本は読書、その二つの道筋について

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

朝は冷え込んだけど午後は穏やかだった日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

朝、霜が降りてました。

 

田畑は真っ白。

 

白髪になったみたい。

 

と思ってたら、午後は穏やかに。

 

厚着せずに済みました。

 

でも週末は冷えそうな予報。

 

しもやけが治らない。

 

コロナ禍で、おうち時間が増えて、読書や考えごとに意識が向いているようです。

 

多くの人が指摘しているように、これからさらに世の中は、大きく変貌していくのでしょう。

 

そうした時に、「新しい社会」に変わるというよりも、今しばらくは変化の最中、つまり、落ち着かない変革期になると思います。

 

ペリーが浦賀に現れたからと言って、いきなり明治になったわけもなく、明治と年号が変わっても、世の中がすべて明治になったわけでもありませんから。

 

新しい社会はこうなる、という予測や提言もいくつも現れるでしょう。

 

どのように変化しようとも、その変化の道行きを見定めて、自分なりの対応が取られねばなりません。

 

たとえ識者であろうとも、他人の言い分をそのまま鵜呑みにして、自分の人生を見定めてはならないのです。

 

自分の主導権は、しっかり保持しておかなければならない。

 

そのためにも、昨今話題の、自学自習、すなわち独学が、これからも重要になるでしょう。

 

誰かの言説をそのまま押し頂くのではなく、まさに、自分で考えて、自分で決断しなければならない。

 

そのためにも、知識は必要だし、知識を運用して、自分なりの見通しを持たなければなりません。

 

ドラッガーはこう言ってるとか、ドゥルーズによれば我々はかくかくしかじかの時代を生きているとか、オウム返しはもう通用しません。

 

他人の言説も見通しも、自分なりの咀嚼をして、自分の血肉としなければならない。

 

そのような「消化吸収力」が求められているのでしょう。

 

変化の著しい時代に、「答え」はどこにもありません。

 

知識のひけらかしは、クイズ番組まで。

 

ブロックをいくら積み上げても、ブロックとブロックがしっかりとくっついていないと、建造物にはならないでしょう。

 

その、ブロックとブロックをつなぎとめるセメントの役割をするのが、知性なのではないでしょうか。

 

今年、さらに独学、自学自習に人々の関心が集まると思います。

 

ネットやオンラインでの学習も高まるでしょうが、独学の基本は読書でしょう。

 

文字で書かれた先人の思想から、何をくみ取るのか、その読解力、理解力こそを鍛え上げないといけない。

 

書籍の読み方には、大きく分けて二通りあると思います。

 

一つは、テキストにあれこれ書き込んで、テキスト自体を、自分のオリジナルな書物にするというやり方。

 

線を引いたり書き込んだり、時には紙片を貼って拡張したり。

 

書物としては解体しそうなくらいボロボロになった愛読書の、ほとんどの行に何かしらの線が引いてあると語る人は少なくないようです。

 

表紙の裏や裏表紙などに、自分独自の索引を作る人もいます。

 

テキストをしゃぶりつくす、こういった方向もあれば、ふたつめは、丁寧にノートを取るというものです。

 

特に難解な文章の場合、どのように理解したのか、できたのかを図解でまとめてみると、はっきり分かりますし、後々のためにも書いておいたほうがいいでしょう。

 

後日、理解が進んだときに、最初に理解の仕方を確認できたりしますから。

 

「ああ、あの頃はこんな風に理解してたんだ。でも今はこうだと考えるようになった」などと、自分の進化を具体的に把握できましょう。

 

なので、読書術と並んで、読解力、中でも自分の理解を図解化する力に、さらに注目が集まると思います。

 

何もせず日々を過ごしていても、変化はやってくるでしょう。

 

ならばその変化に翻弄されるよりは、その変化のただなかにあって、自分で進路を決めたほうが、なんぼか「まし」というものです。

 

独学の時代、ノートテイキングに意識を集めましょう。