荷物減らすか!断捨離の時期だしね

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

児童生徒は春休みかの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

夕方、小学生が、何やらすごい荷物を抱えて帰宅している風景に遭遇。

 

ああ、そうか、今日は終業式なのですね。

 

明日から春休み。

 

それで学校に置いてある私物を持って帰れと。

 

確か、漫画の『ちびまるこちゃん』の第1話が、そんなエピソードから始まってましたっけ。

 

その都度持って帰れば、終業式にまとめて持って帰る羽目にならないのに、人って、その時は激しく後悔するものの、あっという間にのど元を過ぎるせいか、また同じことを繰り返してしまう生き物ですよね。

 

僕もそうでした。

 

工作とか絵とかプリントとか、もうその時点では思い出にも何にもならない、欲しい人がいたらどうぞ状態の物品を持ち帰るのですから、つらい記憶と自分を責めた思いしかよみがえってきません。

 

そして、そのまま成長したものだから、今のこの部屋にも、新旧同居、粗大ごみ混在、あちこちがデッドスペースと化してます。

 

世の中には、「1日1捨て」を標榜して、手帳に何を捨てたのかイラスト入りで書いている人もいるというのに。

 

捨てられないって、病のようなものですよね。

 

でも、空間の在り様が、気分だけでなく、思考にも何らかの影響を及ぼしているそうですよ。

 

狭いところに閉じ込められると、それがストレスとなって、体だけでなく、頭も心も伸びやかには成長しないようです。

 

見た目だけでなく、押し入れなどに不用品を詰め込んで、隠しているつもりでも、深層心理では、そこに使わないものが詰まっていると分かっているので、やはり精神衛生的には、よろしくないそうです。

 

物が少ないと快適に動ける、というのは、行動だけでなく、思考回路の働きにもあてはまることなのでしょう。

 

モノが多いと管理するだけでも大変なエネルギーを使います。

 

気にはとめていなくても、無意識の中で、そのことが浮かび上がり、自分を責めたり不快感を感じたり、心配したりしているのかもしれません。

 

スヌーピーでおなじみの『ピーナッツ』には、どんなにきれいにしていても、外に出るや一瞬で泥まみれになる男の子が出てきますが、僕の場合もちょうどあんな感じでしょうか。

 

テーブルの上を片付けて、何もない状態にして、「ああ、テーブルの全面が見えるのは気持ちがいいなあ」と思った次の瞬間に、あちこちからいろんなものが集まって、テーブルの上を占拠してしまうのです。

 

これな何かの呪いでしょうか?

 

僕が生まれたときに、旅のおばあさんが通りかかり、僕を一目見るや、

 

「この子は一生片付けとは無縁じゃわい」

 

などと、聞いてもいない将来を予言したのかもしれません。

 

今となっては、その呪われた境遇を、受け入れるしかないのでしょうか。

 

そんなことより、いい歳をしたじじいなんだから、少しづつでも片付けろよとの声が聞こえてきました。

 

というわけで、手帳、中でもガントチャートが、こういう場合の計画には向いてそうです。

 

荷物を減らすと一言で言いますけど、さらに小さな行動に分けられるでしょう。

 

「区分け用の広い場所を用意する」とか「これがなくなったら困るものは、最初から取り除いておき、分かるようにしておく」とか「ゴミ袋を大量に買う」とか。

 

小さな、すぐにでもできる、時間のかからない行動を付箋に書き出して、優先順位を考えて並び替え、実行に移す。

 

付箋を追加してもいいし、並び替えも何度でもすればいい。

 

ということが、頭では分かっていて、実行できていないのはなぜ?