手帳や日記を書くことで出会う自分というものもある
こんにちは。
てらぴーだよ。
花冷えも少しゆるんだか?の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
理科、自然科学の大本は、仮説と検証だと言います。
仮説を立てて、観察・実験を行い、仮説が正しかったのか検証する、そうして出てきた新たな課題に対して、また仮説を立てる。
その繰り返し。
でも、考えてみたら、僕たちの生活も、どこかしら、仮説と検証で成り立っているところがないでしょうか?
どんな行動も、必ずこうなると保証されているわけではありません。
望む結果が得られないことだってしばしばです。
どんな生き物も、こうしたらこうなった、ではこうしたらどうなるのか、の繰り返しの中で、次第に今見るような生活のスタイルを作り出してきたのでしょう。
人間だって、仮説検証を繰り返してきたはずです。
少し酸っぱくなった牛乳を飲んだらおなかを壊した、これからは飲むまい。
その一方、あなかを壊さずに、酸っぱい牛乳を飲むにはどうしたらいいのかに思考をシフトさせて、ヨーグルトなんかを作り出してきたのでしょう。
毎日の生活のいろんな癖も、仮説と検証の繰り返しの中で、磨き上げられていったのです。
なので、その人の生活の流儀といったものには、その人の歴史、成育歴や生活史といったものが、関わっているはずです。
どうしてそんなご飯の食べ方をするのか、といった日常生活のスタイルから始まって、その考え方はどうやって育まれてきたのか、といった精神的な傾向まで、これまでの仮設・検証の積み重ねと、他の人、家族や兄弟、友人からの影響が相まって、出来上がってきたのでしょう。
自分で自覚を持っていることもあれば、他人から指摘されて気づくといったケースもあるでしょう。
あるいはまだ、意識に登らない未知の癖やスタイル、傾向などがあるかもしれません。
そうした、自分はこういう傾向の人間だという輪郭をさらにはっきりさせるために、日記や手帳に、自分の傾向を書いてみてはいかがでしょう。
こういう時にこうする傾向があるとか、こんな反応をしてしまいがちとか、そこには自分にとってプラスもあればマイナスもあるに違いありません。
細かく見ていくと、同じような反応でも、人により場合により、違っているかもしれません。
同じようなことを言われても、あの人から言われた場合と、この人から言われた場合とで、受け取り方も違ってくると思います。
似たような状況でも、5年前と今とでは、反応や受け取り方が違うということだってあるでしょう。
どんな経験や思考の果てに、今のような反応をするに至ったのか。
そこには、たぶんこうなるんじゃないかな、こうなってほしい、という仮説と、現実はこうなりました、という検証があったはずですから。
いつも予想が外れてしまうと言いながらも、そうした予想をする自分を捨てられない自分もいるわけですから、そこには何かがあるのでしょう。
日々の生活の中で、チリが積もっていくように、気づかないままに、僕たちは自分の輪郭を形作るのです。
その輪郭を自覚できるツールが、手帳や日記なのだと思います。
スケジュール管理だけにしないで、毎日の感想や考えたこと、感情が動いたことなどを記録していくと、自分の輪郭に出会えますよ。