頭の中に脈絡のない単語が乱舞しますよね?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨上がりの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

夏だからシャワー。

 

簡便で良し。

 

ほんとは、健康のために、湯船にとっぷりとつかるのがいいらしいけど、夏と言えばシャワーだ。

 

最近、頭の中で、いろんな言葉が飛び交っている、という経験はありませんか。

 

いろんな言葉と書きましたけど、もちろん日本語で、「単語」の場合がほとんど。

 

そして、脈絡なし。

 

瓶、小野小町、カステラ、昨日、雨宿り、といったふうに、つながりのない言葉の群れが、頭の中をはい回って、うるさいったらありゃしないという状況。

 

意味のない、例えば、「んかられっとすがには」みたいな音の連なりにはなりません。

 

何かしらの単語で、グループ分けが不可能なくらいの混雑ぶり。

 

やはり、疲れているのでしょうか。

 

寝ようとして頭の中がこのありさまでは、速やかに就寝とはいきません。

 

本を読むことで、多生は紛らわすことができる日とできない日があって、万能ではありません。

 

かと思うと、少しも言葉が出てこない日もあったりします。

 

もうそれはもう空っぽで。

 

頭の中の言葉という言葉が、消去されたように何も生まれてこない。

 

ただただ「無」が広がっている。

 

けれども、瞑想の代わりにはならない。

 

言葉って、出てくる時は邪魔になるくらい湧き出すのに、出てこない時は、まるっきり音沙汰なし。

 

いったいどんなメカニズムで動いているのか、動かされているのか、スイッチはどこか、電源はどこにあるのか。

 

おそらくは、ありていに言えば、脳の中の神経回路、ということになるのでしょうけど、その細かい先端での、カリウムイオンやらカルシウムイオンやらの出たり入ったりが、どのようにして「猫」や「モンテスキュー」や「サバイバルキット」になるのか。

 

人間の意識というものは、ホログラムのように、光か何かが震えているだけなのかしら。

 

その意識を、コンピュータに実装して、そこに個人の意識を丸ごとコピーすれば、マシンの中で永遠の命を持つことができると、マジで取り組まれているらしい。

 

電子回路の中で、個人の意識は、成長するのだろうか?

 

もし成長するのなら、その意識は、オリジナルと電子回路版とに分かれてしまわないのか。

 

また、意識の大半は、言葉によって表されるとは思うものの、言葉にならない感情や感動などは、どのように回路に焼き付けられるのか。

 

イメージやたたずまいや気配といった、頭以外も感じているものは、どこにしまわれるのか。

 

コンピュータには、肉体というものがない。

 

ならば、肉体が、脳とは別に記憶していたり、感じていたりすることは、どこに転写されるのか。

 

言葉があふれて脳内が詰まっているときと、言葉が皆引き払って空虚な時では、脳の重さにも変化があるのだろうか。

 

とりあえず、夜寝る時に、頭の中を飛び交うのは、お控えください。

 

 

 

千の天使が

 

バスケットボールする  中原中也