御経塚イオン、僕の中ではサティがあと二日で閉店
こんにちは。
てらぴーだよ。
5月もカウントダウンな夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
先日、とあるイオンタウンへ行ったら、今月で閉店なので、お店の入り口に、カウントダウンの看板がありました。
「閉店まであと3日」
閉店とは言うものの、すぐ近くにさらに巨大なイオンモールができるのでした。
そしてここは、イオンになる前は「サティ」だったのさ。
だから僕の中では今でもサティ。
日記でも「サティに行く」みたいに書いてて、僕の中では現実でした。
周りにあまりにもイオンが多すぎて、区別したいという現実的な要請もありました。
でもそれよりも通い慣れてたのが「サティ」だったので、そのままにしておきたかった。
イオンのお店になってからよりも、サティの時の思い出の方が多かったので。
だから、あの建物があるうちは、永遠に「サティ」だったのに、その建物自体が無くなってしまう。
そうなるともう、人々の記憶の中でしか語られなくなってしまうのでしょうか。
そして記憶の混濁が起こり、「あれは、サティの時だったよね?」「いや、もうイオンになってたんじゃないの?」といった会話も普通になってしまうのでしょう。
甦れ!サティ!
いや、もう無理か。
今脳内に、唐突に「真っ赤なサティに恋しちゃえ」というあの頃のキャッチコピーが浮かび上がりました。
場所を巡る記憶というものは、その場所が変わり果ててしまうと、再生の精度にも影響するのではないでしょうか?
2年程前、コロナなんてなく、したがって自由に旅行できた時、思い出の地である東京は新宿の花園神社界隈を歩いたときがあったのですが、学生時代の面影はほとんどなく、初めての土地になっておりました。
もう少し、「そうそう、ここにこんな建物があったよね」とか「この路地を抜けるとあの大通りに出るよね」といった、記憶の再生を期待していたのですが、どこにもそのようなスイッチがなくて、ただただ知らない都市を歩いているばかりなのでした。
したがって、記憶の中の元カノも何も話してはくれないのでした。
サティも、やがてそうなるのかな。
名称が違っても、テナントが変わっても、あの建物のあのあたりにこんなお店があったと、実際現地に行って懐かしむということもできなくなります。
そのことを、一緒に語れる人もいない今、記憶は遠のくばかりです。
時間は、時に暴力的に進みます。
こちらの心の準備なんてお構いなしに。
あの頃、サティだったイオンもあと二日。
イオンは無くなってもいいけど、サティは残してもらえないだろうか、そんな約束を悪魔と取り交わしたい。
とはいえ、こちらからは何も差し出せませんが。
跡地は、ホームセンターが買い取ると聞いていますので、可能性は薄いのですけど、廃墟になったら、忍び込もうかな。
同じことを考えてる人は、多いと見た。