梅雨入り、湿気、紙の波打ち、でも書きましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

北陸地方が梅雨入りした夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

例年に比べ1週間ほど遅れての梅雨入りだそうですが、雨の日々が来るのかと、ちょっと憂鬱。

 

湿気が多いと、紙もふやけます。

 

ことに、紙の表面が波打つあれは何とかしてほしい。

 

手帳をはじめ、ノート、メモ帳、さらには書籍に至るまで、ひどいと紙の集まり全体が波打ちゆがむことだってあります。

 

本は読みにくくなるし、紙だと単純に字が書きにくくなります。

 

そうかといって、ドライヤーで乾かすわけにもいきません。

 

ただドライヤーを当てても無駄で、分厚い板などで両側から挟み込み、万力みたいな用具で締め上げないとなりません。

 

ていうか、ドライヤー、持ってなかった。

 

カメラ機材などを、湿気から守るための専用の小さな書棚のようなキャビネットがありますが、高価な手帳なんかを補完する、除湿器もしくは除湿剤を備えた保管庫なんてあるのでしょうか。

 

昔の貴族などの記録とか日記、蔵書なんかを保管というか保存するごつい収納箱がありそうな雰囲気。

 

でも、そこまでいくと、紙は紙でも動物の革を使った「羊皮紙」になるのでしょう。

 

羊の革に限らなかったとはいえ、もともとが動物の皮。

 

栄養というかコラーゲンもたっぷりな感じで、したがって、カビなんかも生えやすい印象があります。

 

でも、そこは「紙」なので、コラーゲンのみならず肉片や油、毛などはこそぎ落とされたのでしょう。

 

映画『薔薇の名前』で、聖書の写本を作っているシーンとか、朝の礼拝で、聖書をめくるシーンとか出てきますが、1冊がというか1ページがやたらと大きいのです。

 

ポスターぐらいの大きさで、したがって書架に立てかけてめくるのもひと苦労。

 

そこへ行くと、わが国には、こうぞ、ミツマタという紙の原料がありましたから、そこまで大きくしなくてもよかったのでしょう。

 

今とあまり変わらない大きさの紙が供給され、身近に使われていたものと思われます。

 

遅くとも戦国時代には、トイレでも紙を使い、鼻をかむのにも気安く使っていたのでしょう。

 

西洋のハンケチは、手をふくのではなく、鼻をかむためのものだと聞いたことがあります。

 

幕末か明治維新のころ、日本のお侍が胸元からチリ紙(多分懐紙)を出して鼻をかんだところ、そばにいた西洋人が、「紙で鼻をかむなんて、日本人はなんて贅沢なのだ」とびっくりしたそうですから。

 

最近とみに注目されている「錦絵」だって、その発端は、日本からの輸入品の陶器などに使われていた「包み紙」としての、つまりは「いらない紙」であった浮世絵に、西洋人が注目したことなのですから。

 

紙がふんだんにあって、紙の文化が発達してた日本。

 

これも最近、和紙が思わぬブームになってます。

 

それが、マスキングテープ。

 

あの素材の紙は、和紙なのでした。(一部そうではない製品もあるようですけど)

 

紙の使用量が、文化国家の度合いを表すそうですから、無駄使いはともかく、大いに紙に書きなぐりましょう。

 

紙の国ニッポン。(森元総理の「神の国」にあらず)