「日ペンの美子ちゃん」でおなじみのボールペン講座に、左利き用のテキストが出たってよ
こんにちは。
てらぴーだよ。
七夕の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
旧暦のままだったら、晴れていたかもしれない七夕の夜。
1年に一回の逢瀬。
織姫と彦星のお話を聞いたのは、確か幼稚園のころ。
幼稚園児にしてみたら、1年に1回なんて、もう、絶望的な長さ。
たぶんその当時、遠い目をしていたことでしょう。
織姫も彦星も、手帳に印をつけて、「もう少しだ」なんて楽しみにしていたのでしょうか。
でも、年に1回は会えるけど、一緒には住めないのだとしたら、織姫は永遠のアイドルのようなもの。
そして、永遠のアイドルと言えば、デビューして半世紀になろうとしている、われらが「日ペンの美子ちゃん」。
の、ボールペン習字講座に、「左利き用テキスト」が登場したらしいです。
通信教育95年だそうですから、1世紀かけて、左利きに目が届いた、ということでしょうか。
これまでのテキストでは、解説やお手本が左側にあったので、左手で書こうとすると、そのお手本や解説が左手で隠れて見えなくなってしまう。
そこで、左手で書くときに、隠れてしまわないように、解説もお手本も右側に移した、という何やらコロンブスの卵のようなお話。
それまで左利きの人は、お手本の字が隠れても、じっと我慢の子であったのですかね。
僕も左利きで、小学校に上がる前に、字を書くのだけは右に直されましたけど、その時は割とすんなり右でも書けるようになったと思います。
以来、字だけは右でした。
絵を描いたりするのは左でした。
さほど「矯正」されたという感覚はなかったのですけど、因果関係は不明ですが、小4から、吃音が出ました。
どもるようになったのです。
ただ、高校に上がって、字も左で書くようになっても、吃音は治りませんでしたけど。
なぜかこの世は、右利きが多くて、したがっていろんなものが、右手で操作するようになっています。
有名なところでは、ハサミとかカッター、急須の取っ手、一部のお玉(スープとかつぐやつ)、自動販売機のコインを入れる穴、そして、歩兵の持つ銃。
一説には、兵隊の持つライフル銃とかが右利き用にできているので、左利きの矯正が奨励されたのだとか。
僕は大学生のころ、ちょっと変わった学生寮にいたのですが、確か入寮初日に、受付にいた職員の小沢さんの前で名前を書いたところ、
寺田、お前左利きか、それ、卒業までに直さないと就職できんぞ
と、真顔で言われました。
そんな時代もあったのさ。
でも、左利きにしてみたら、まだ住みにくいところはありますよね。
そうした小さなストレスが重なるから、左利きは長生きできないなんて本まで出る始末。
かわいそうな「ぎっちょ」の諸君、手を携えて、右利きの文化を告発していきましょう。
で、日ペンのボールペン講座に、まずは拍手を。
一口に左利きと言っても、左手で字を書くそのスタイルに、大きく分けて2種類あると思います。
紙やノートなどをまっすぐにして書けるタイプと、紙やノートを右に傾けないと書けないタイプ。
アメリカの大統領がまっすぐタイプ。
何かの条約の調印で、高そうな万年筆でサインをする時、左利きの僕が見てても書きにくそうに、左手を内側に曲げるような格好でサインしてました。
オバマ大統領がそうでしたし、クリントンもブッシュも左利きでした。
僕は、紙などを斜めにして書くタイプ。
あるお役所に出向いて、受付で自分の住所と名前を書くときがあって、僕は書類を斜めにして書こうとしたら、受付の内側にいた職員のおばさんに書類をまっすぐに直されました、2回も。
書類はカウンターの線と垂直になるように置いて、署名すべしなんて規則でもあるのかしら。
左利きが当たり前になるには、まだ時間が必要なのでしょうか。