手帳やノートが、自分を解放するツールになるってばよ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ゲリラ豪雨の前になすすべがなかった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

雲行きが怪しくなってきたと思ったら、ものすごい夕立が。

 

ゲリラ豪雨です。

 

その雨足の速さ。

 

「ずぶぬれになりたい」なんて書いてたくせに、室内からの観測に終始したワタクシ。

 

まあ、仕事中だったし。

 

着替えもなかったし。

 

それにしてもすごい雨、南国のスコールに負けてません。

 

8月に入ると、そろそろ来年の手帳が気にかかります。

 

コクヨが早くも『ジブン手帳』のラインナップを発表しました。

 

テレワークだなんだでお家時間が増えたのと、「働き方改革」などの影響もあって、多くの人が自分の生き方を見直すようになったので、紙の手帳やノートへの需要が高まっているのでしょう。

 

おまけに人生の指針を提供する心理学や哲学、脳科学などの知見が、「書くこと」を推奨していると思えてなりません。

 

自分の内側との濃密な対話。

 

つまりは瞑想や内観だけでもいいのでしょうが、そこに書くことによる視覚化が加わると、その効果も倍増です。

 

これまでも、自分を見つめるノートの書き方を紹介した本が出てますけど、年末に向けて、つまりは手帳の買い替え時期に向けて、出版点数も増えるのではないかと思います。

 

もはや手帳は、タイムマネジメントだけでなく、人生のマネジメント、生き方をどうするのかということについての指針をもたらしてくれるツールとして、なくてはならないものなのです。

 

仕事上のタスクや友人との約束のその先にある自分の生活や生き方に意識が向いているのでしょう。

 

ですから手帳の流行の一つに、「1日1ページ」があると思います。

 

なんのことはないそれって「日記」ですけど、「今日何々があった」という記録的な記述を離れて、その時自分が何を感じたのか、何を考えたのか、内面の記録へと軸足が動いているように感じます。

 

自己との対話は、やがて無意識との通路を開き、自分が本当に望んでいるものを明らかにしてくれることでしょう。

 

世間とのしがらみや、成育歴の中で覆い隠されてきた「本音」と対峙する時です。

 

例えば、自分がしたいことを後回しにして、親などの他人の期待を生きてはいないか。

 

あまりにもその振る舞いが長期に及ぶので、「他人の期待」がそのままイコール「自分がしたいこと」に偽装されてはいませんか。

 

そんなことに多くの人が気づくのにも、多大なる犠牲があったことと思います。

 

フェミニズムに関して、これまで砂や泥をかぶりながらも戦ってきてくれた先人たちがいたからこそ、広く理解されるようになったし、生きやすくなった人も大勢いると思います。

 

同じことが、なんの変哲もない人々の生き方の、その偽装のコスプレの仮面をはがしにかかっているのです。

 

「良い子」の仮面を脱いで、「本音で生きる私」を取り戻すのに、いったいどれだけの犠牲が払われたことか。

 

フェミニズムの浸透で生きやすくなった人が増えたように、心理学などの知見の教えで、生きやすくなった人も大勢いるはずですが、まだまだこれからでしょう。

 

自分はどのように生きればストレスなく自分を出しまくれるのか、そんな時代は始まったばかり。

 

まだまだ混迷は続くでしょうけど、時代の進む方向や趨勢は、「自由」と「平等」に決まってます。

 

そしてその動きを後押しする、あるいは補助をしてくれるツールが、紙の手帳であり、ノートなどの紙製品なのです。

 

紙に神が宿るのです。