感性の時代、アート思考をどう鍛えるのか
こんにちは。
てらぴーだよ。
汗だくで帰宅した夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
雨上がりの帰宅路。
湿度が高いせいもあってか、リュックがへばりついた背中がとんでもなく汗だく。
さて、これからは感性の時代だなどと言われておりまする。
絵画などの美術品を見て、アート思考なるものを高めようという試みがあちこちで開催されているようなのです。
もはや、正解を出すといった、知識の時代は終焉を迎えようとしているのでしょう。
その残りかすのように、相変わらず「東大脳」をうたった書籍は出版され続けてはおりますが。
どこかに正解があり、あるいは、誰かが正解を持っているので、その正解さえ探し当てれば、人生上がりだなんて、もはやそんな時代ではないのですよね。
感性と並んで重視されるのが、適切な「質問」を出せる力。
現状の問題点に対して、どのような問いかけがことの本質をとらえているのか。
そのような質問を出せる力が求められているわけです。
思えば、安宅和人さんの『シンニホン』、あの本で提案された「風の谷」を作るという計画も、安宅さんの「直感」から生まれたものでした。
データやAIを駆使して導き出されたものではなかった。
逆に、データやAIに何でもかんでも情報を詰め込んで、これからの日本の青写真を描いたならば、ずいぶんと違ったものが出てきたはずです。
何よりも、「風の谷」というのが、データや統計や情報として現れてはいないでしょうから。
どこかで「ジャンプ」があったと思います。
そしてその感性のジャンプは、「計算」とか「情報処理」からは生まれてはこない、そのような性質のものだったのではないか。
なぜだか説明はできないけれど、そうすることが「正しい」というより「楽しい」、そんなある意味無根拠の知性がこれからを作っていくのではないか。
「正しい」データを積み上げれば、必ずだれもが納得する、せざるを得ない「正解」にたどり着く。
それって、もう、令和のスタンダードじゃないよね。
どのような理路なのかは説明がつかないのだが、そして唐突に浮かんだのだけれど、これが「正解」だと思います、といった物言いが、これからは主流になっていくのかも。
「データをして語らしめよ」なんて言う「正解」の出し方は、もう通用しないでしょう。
さあ、そこで、感性だ。
ものを見て、いったいどれだけの発想を生み出せるのか。
どんなことに感情を揺さぶられたのか。
好ましい点はどこで、違和感があるとすれば何か。
そうした、頭と心を連動させる思考や感情の取り扱いを紙を広げてやってみましょう。
感性の時代の、必須のアイテムは「紙」
1枚の紙でもいいし、束ねられたノートでもいい。
真ん中から書く、おなじみ「マインドマップ」でもいいし、初めから9か所の「空欄」がある「マンダラノート」でもいい。
東大生のノートのように、縦に揃えるとかしなくてもいいでしょう。
縦も横も上下さえも不確かな、混沌が相手なのですから。
例えば日記を書くにしても、お行儀よく時系列で書かなくてもいい。
今日心を揺さぶられた順に字の大きさも変えて、イラストも添えて、いきなり斜めに書き出したっていい。
そんな「イレギュラー」を重ねれば、また新しい発想が浮かぶかもしれない。
これまでの努力の積み重ねの果てに「正解」は表れてはこない、そんな時代だからこそ、とらわれない書き方で、脳を刺激しましょう。
感性を鍛えるのは、紙とペンと生身の手。