極彩色のシュールなユメを見た、野帳にメモした

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

もうすっかり涼しい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今日の明け方だと思うのですが、極彩色のパラダイスなユメを見ました。

 

ちなみに、将来実現して欲しいのは漢字で夢、寝ている時に見るあれはカタカナでユメと書き分けています。

 

日記代わりの野帳に、時折り、特にはっきり覚えているユメを見たときには、すかさず「ユメ日記」をしたためています。

 

数か月もすれば完璧に忘れてしまうので、たまに読み返すときなど、「ほんとにこんなシュールなユメを見たのかよ、気でも違ったか!?」とびっくりすること請け合いです。

 

そしてユメは個人的なことなので、日記と同様、緑のボールペンで記録するのがお約束。

 

いやあ、今朝のユメはカラフルで、音楽付きで、物語仕立てで、細部に至るまで鮮明で、不思議なアニメを見ているようでした。

 

もちろん野帳に、覚えていることをすべて書きました。

 

ユメって、ほんとに、太陽光線を浴びたミイラか何かのように、消えていきますよね。

 

何の役に立つのかわからない、覚えていてどんな得があるかもはっきりしないことを、書いて残す意味があるのか、と言えば、面白いから残すとしか言えません。

 

このユメを見たおかげで、何かがうまくいくとか、そういう後利益は不明でしょうけど、これも何かしらの自分史の一コマとして記録しておいた方が、後で楽しめると思うのです。

 

ことあるごとに、物を知らないなあと思える自分の脳ですが、それでも記憶の総量としてはかなりなものだと思います。

 

そしておそらくその記憶の大部分は、無駄な知識または役に立たない記憶なのではないでしょうか。

 

調べたことないけど。

 

一説によれば、私たちは見たもの聞いたものなどをすべてことごとく覚えている、つまり脳の中にしまい込んでいるそうです。

 

でもそのうちの何パーセントが有益な知識や知恵なのでしょう。

 

だからと言って、インプットする時に、これは必要ないとして記録しなかったら、我々の記憶は、ものすごくか細いものになってしまうでしょう。

 

一見すると、無駄に思える記憶や知識があるせいで、実のところ私たちの知性と呼ばれるものも厚みを備えることができるのではないかと思います。

 

本当に必要な最小限度の知識だけでは、知的な武装もままならない。

 

無駄に思える事柄でも、そのことを脳が取り入れる過程で、何かしらの活性化が行われている、そしてそのことで、脳の機能も高まっていくのではないでしょうか。

 

なので最初から「関所」を設けて、これは記憶として残す、これは永久に消去などという選別をしない方がいい。

 

人間の記憶容量は結構すごいらしいので、何でもかんでもとりあえず頭に入れても大丈夫らしいです。

 

シュールなユメを見たからといって、役に立ちそうにないから消去しよう、記憶から追い出そう、なんて考えずに、面白いものはとりあえず記録しておこう、後で別の何かと結びつくかもしれないから、ぐらいに鷹揚に構えて、メモしてた方が楽しめますよ。

 

どんなことでも気軽にメモ、その中から不思議な直感も生まれるのだと思います。

 

それにしても、今朝のユメはすごかったです。