あああ、僕の9月が終わってしまう、あなたの9月は?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

まだ夏が残っていたかのような夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

9月が終わろうとしています。

 

あなたにとって、この9月は、どんな月でしたか?

 

12分の1でしたか、それとも、それ以上の月でしたか、逆に、それ以下でしたか?

 

9月、あるいは「ひと月」というまとまりをどのように考えていけばよいのでしょう。

 

何らかの「答え」が出た月でしたか?「問い」を与えられた月でしたか?

 

10月以降に続く、課題が見えた月でしたか?

 

2021年の9月は、どのような月として記憶に残るのでしょうか。

 

日本史や世界史ではない、あなたの歴史の中で、どのような位置を占めるのでしょう。

 

どのような方向性を指し示すのでしょう。

 

この9月に、何が起きましたか?何が起きなかったのでしょうか。

 

9月に、何をすべきであったのか。

 

10月に、持ち越すものは何であるのか。

 

9月に、わが身に引き寄せたものは何であったのか。手放したものは、何であったのか。

 

9月に、後悔があったとすれば、それは何だったのでしょう。

 

9月に、記録しておきたい幸運はいくつありましたか?

 

この「空間」を共有している私たちには、時間は平等に流れるので、誰かがまだ10月になっていないといった事態にはなりません。

 

時差という事態はあるものの、日本列島に限れば、皆さん平等に明日は末日で、それを過ぎたら10月です。

 

もちろん、カレンダーに合わせて何かが起きるということもないので、これは9月でお終いで10月には起こらない、といったこともないでしょう。

 

また、9月の最終週から10月3日まで続くといったスケジュールもあるでしょう。

 

それでもここで、一区切りつけるとしたら、どのような観点から自分の生活を見直せばいいのでしょう。

 

何を評価し、何を教訓とすべきなのか。

 

生活の様々な分野で、何がどうであったのか、棚卸しをしてもいいのだと思います。

 

だらだらと、いつの間にか地続きのように9月のカレンダーがめくられて、10月に移行するなんて、マンスリーであることの利点を無視しているようなものではないでしょうか?

 

せっかく、マンスリーという区切りがあるのですから、このカタマリをうまくとらえるすべを身につけましょう。

 

単なる日付の進行とだけ捉えないで、9月を特徴づけることを、手帳をひっくり返して探すのです。

 

8月と同じであるはずがなく、また、去年の9月とも異なる、今年の9月の相貌が浮かび上がると思います。

 

よく食べたものでもいいし、買ったものを思い出すだけでもいい、日々の生活の中で、何かしらの変化が起こっているでしょうから。

 

「高尚」に見える、抽象的な側面をのみ話しているのではないのです。

 

いきなり、どう生きたのかといったステージに話が飛ばなくても、生活はどのようであったのかといった地平から、9月を捉え直してみればいい。

 

ともすれば、「平凡な、まあまあな月だったかな」といった、何も振り返っていないところへ逃げようとしますから。

 

そこを、手帳を片手に「9月のキーワード」を探すのです。

 

その上で、10月の期待に、思いを馳せましょうか?