かつてCaféはサテンだった

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

スタバで最初に注文したのが、「キャラメルマキアート」でした。

 

大阪で、旅行中での思い出。

 

それからほどなくして金沢にも進出。

 

行きたいときに、すぐには無理だけれど、行けるようになりました。

 

やがて、タリーズもやってきて、(最初のお店はほどなくして閉店移転)、気が付いたら、「コメダ」に「星野」に「倉式」とチェーン店が展開。

 

地元資本の「カエデ珈琲」というのまで、できました。

 

あと、「ユトリ珈琲」というのがあるのですけれど、チェーン店なのかは未確認。

 

ネットで調べたら、福井県に本部というか本店のあるコーナーチェーンのようです。

 

ネットすごいね。

 

コーヒーは、その昔は喫茶店で飲むものでした。

 

家にあるのは、インスタントのネスカフェ

 

コーヒーは子供の飲むものではない。

 

飲んだら最後、夜寝られなくなる。

 

というわけで、コーヒーは飲ませてもらえませんでした。

 

それでも何かの折に、どんな事情だったのかは忘れてしまいましたが、飲ませてもらったことをスプーンにすくったネスカフェの薄い焦げ茶色の液体とともに覚えています。

 

1年に1回もあったでしょうか。

 

自分の中では、「ネスカフェ時代」、コーヒーといえばネスカフェしかなかった時代が随分と長く続いたような気がします。

 

なので、マキシムだったと思うけど、「フリーズドライ」のやつが現れたときは衝撃でした。

 

TVCMでも、凍らせて爆発!みたいな映像で、インパクト大!

 

実際お味のほうもすごく違ってたように思います。

 

そのころには、高校生になっていて、コーヒーは解禁されていたのです。

 

でもまだまだ喫茶店で飲むことはなかった。

 

大体田舎なので、喫茶店そのものがない。

 

あるにはあるけど、たいてい夜はスナックになるとか。

 

半分飲み屋のようなもの。

 

本格的な喫茶店デビューは、やはり大学生になってから。

 

そのころ、ブレンドが、300円ぐらいだったと思います、平均すると。

 

ただ、お店の当たり外れが大きかった。

 

特にまずいコーヒーは、「灰色のコーヒー」と自分の中では呼んでましたね。

 

これだったら、ネスカフェのほうがいいって思いましたもん。

 

ガロの名曲『学生街の喫茶店』。

 

てらぴーは、そのすぐ後の世代なので、「片隅でボブディラン」を聞くことはなかったです。

 

でも、大学のサークルのたまり場としての喫茶店があって、いつ行ってもたいてい誰かいるみたいな感じでしたね。

 

いなくても、コーヒー飲んでると、そのうち誰かがやってくる。

 

懐かしい。

 

ネットで調べたら、その喫茶店まだ現役のようです。

 

あのころは、「サテン」って言ってました。

 

キッサテンの「サテン」。

 

それがいつの間にか、Caféになっちゃって、おまけに「サードウェーブ」とかなんとか。

 

手元にあるコーヒーの本によると、「ファーストウェーブ」は、[19世紀後半から1960年代]

 

「セカンドウェーブ」が、[1970年代から1990年代]。

 

そして、1990年代以降が「サードウェーブ」であると説明されてます。

 

(大塚朝之『たった一杯で、幸せになる珈琲』KADOKAWAより)

 

ファーストとセカンドの区切り方、おおざっぱすぎ!

 

長いよ。その間、もっといろいろあったでしょう。

 

何はともあれ、コーヒーはおいしい。

 

そして、サテンであれCaféであれ、それから、自宅であっても、おいしいコーヒーが飲めるのは、なんと幸せなことでしょうか。

 

では、コーヒーブレイクを。