外野より 小池龍之介さん、あなたを気にかけてます

こんにちは。

てらぴーだよ。

小池龍之介さんのことが、気にかかっています。

おそらく最新刊にして最後の書となるのかもしれない『脳に振り回されない生活』(朝日新聞出版)の奥付けによれば、

(ここから引用)

現在は月読寺の住職と執筆業を辞し、路上生活に入って、放浪しながら瞑想修行に専念している。

(引用終わり)

とのこと。

別のところからの情報で、「解脱」が近いので、全てを捨てて放浪という修行に入ったそうです。

瞑想に関しては、おそらく日本では第一人者なのではと、かねてより思ってました。

瞑想者とか、禅の修行に入っている人たちを全部調べたわけでもありませんが。

仏教を「宗教」ではなしに「心理学」と捉えたところに、この人の現代性があったのだと思います。

「死んだらどうなる」とか「死んだ人をどのように供養すればいいのか」ということに答えるのが仏教ではない。

放っておけば、どんどん妄想を広げる脳というものをどう手なづけるか、どのように「今ここ」に集中させるのか。

そのお稽古が、「仏道」すなわち、お釈迦様が説いた教えだというのです。

「考えない練習」というのは、だから、脳に振り回されない練習であると言えるわけです。

 

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さて、そのような仏道のお稽古をつまりは瞑想を、ご自身でも重ね、またご指導もなさっていた小池龍之介さんでしたが、放浪に入られたと。

「悟り」が近い、「解脱」までもう少し、いよいよ瞑想の完成なのかと思って、一方では、さみしくも感じてはいました。

実は、「説法」が、ユーチューブに以前から挙げられていたのです。

座禅セッションに入る前のお話をどなたかが音声ファイルとしてあげてくださっていたのです。

それで、新しい情報はないものかとユーチューブで、「小池龍之介」で検索しました。

すると、新しい音声ファイルがあるにはあったのですけれど、「懺悔」などの文字がタイトルに出ています。

いぶかしく思いながらも、聞いてみると、放浪しながらの瞑想がうまくいかなかったようです。

うまくいかないだけではなく、その放浪に至る過程に何か過ちがあった模様です。

それで、ご本人は、大変なショックを受けて、このままではいけない。

放浪は中止。

それだけでなく、修行者としても続けられない、と。

ご自身の思い描いていたビジョンに、よこしまな考えが挟まっていたようなのですけれども、あまりにも厳しい決定。

一体何があったのか、詳しく聞いてみたい気もしますが、なにぶん外野のことゆえ、どうすることもできません。

今回の「説明会」のような催しが、各地で開かれる模様です。

小池龍之介さんの本が出るたびに注目し、余裕があれば買って読んだりしていました。

仏教への新しい目を開かせてくれたお方です。

今回の「挫折」とは関係なく、小池さんのご本は、読み継がれるだろうと思います。

願わくば、心身両面でお元気になられて、また、ご活躍されることを切に望みます。

今の、そしてこれからの我々の社会にとって必要な方だと思うからです。