怒り狂ってたあのころ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

20年位前、車をぶつけられたことがありました。

 

正確に言い直すと、車に乗っているときにほかの人の車がぶつかってきたのです。

 

ガソリンスタンドで給油をすませ、そろりそろりと出ようとしたときに、何やら鈍い衝撃を感じました。

 

その時は、免許取り立てで、車にもそれほど乗ってない時期。

 

ガソリンスタンドに入ったのだって10回とかそれぐらいだったのではないでしょうか。

 

車から降りて見ると、運転席の後ろのドアにやはり給油を終えた車が、おそらくはハンドル操作の誤りで、前からぶつかったみたいです。

 

お互いスピードは出していなかったので、(何しろガソリンスタンド内なので)へこみはしましたが、それほどでもない。

 

体に衝撃は感じましたけど、体も異常なしです。

 

相手は、小さい子を乗せたお母さんでした。

 

けれども、それからが大変でした。

 

というか、めんどくさかった。

 

相手の保険会社の人から連絡があり、「2対8」だと言われました。

 

つまり、お前にも2割の責任がある。

 

納得がいきませんでした。

 

電話で話していたのでらちが明かず、裁判所に調停って言うんですかね、お願いしました。

 

本格的な裁判ではなくて、調停員かな、双方の言い分を聞いて即日結論を述べる、そんな感じでした。

 

結局、「1対9」を提示されました。

 

その間も、相手側が突然裁判所に来ないとかありました。

 

そのせいで、2度も足を運ぶ羽目になったりもしました。

 

けれども、僕の保険会社の人からも、10対0にはなりません、と言われていました。

 

「不服でしたら本式の裁判に移行することもできますが、それでも、(あなたの車が)動いていたので、10(じゅう)ゼロはあり得ません」

 

本当に納得できなかったのですけれども、仕方なく調停を受け入れました。

 

さて、それからというもの、車を運転していると、その悔しさがよみがえります。

 

何度も何度も思い返しては腹を立てる。

 

自分は悪くない。ぶつけられたのだって後部座席側のドアだし。どうやって避けろというんだ。

 

「1対9」にはなったものの、その1の責任というのが分からない。

 

思い返すことはいつも同じことです。

 

何かしらの新しい考えが浮かぶこともなく、今思うと滑稽ですが、運転しながら一人でカッカしてたのです。

 

ほっとくと、おそらく、強いマイナスの感情は繰り返し現れます。

 

そして、強く記憶される。

 

何度も何度も筋をつけるようなものです。

 

棒切れで地面に線を引く感じ。

 

やがてその線は筋となり次第に深く刻まれるのです。

 

強いマイナスの感情は持ち続けても、なにもいいことがありません。

 

と、分かってはいても、なかなか離れられないのも事実。

 

僕もいろいろとやってみました。

 

ノートに書きなぐるとか、紙に書き出してその紙を燃やすとか。

 

次第に感情は小さくなりましたけど、時間がかかったのも事実です。

 

怒りは適切に処理しないと、やがて自分の身を亡ぼすようです。