国語の問題と数学の計算問題の、根本的な違い
こんにちは。
てらぴーだよ。
国語の長文問題って、採点しててむなしくなることがある。
かつて、中3生の模擬試験の採点を何百枚とやってたことがあった。
できる生徒もいれば、そうでない生徒もいて、点数もいろいろ。
まあ、当たり前だよね。
それで、できない生徒って、選択問題しか解いてない。
だから、国語ができるできないというのは、答案を見れば一目瞭然。
さて、選択問題というのは、アイウエから1個選びなさいというあれだ。
たいてい4択なので、確率は4分の1。
問題全体では、長文の大問が3つぐらいだから(でも3つ目は、古文などの短めの大問だった)、10個ぐらいになるだろうか?
そしたら、でたらめに書いたとしても、3個から4個ぐらいは丸になるんじゃないかと思うけど、そうはならない。
選択問題だけ書いてあって、ほかの記述問題とか真っ白という場合、当然適当に書いていると思わざるを得ない。
それでも、点に結びつかない。
でも逆に、適当に書いて全部合っていても、意味ないんだけどね。
本文に何が書いてあるのかわからずに解いているなんて、意味あるのかって思ってしまうでしょう。
国語って、数学の計算問題みたいに、「途中の計算」がない。
数学の計算問題とか、応用問題でも、「途中式」や「途中の計算」というのがあるじゃないですか。
どうやってこの答えを出したのか。
どのような道筋で、この数字に至るのか。
たまにだけれど、計算の仕方が違っているのに、たまたま答えの数字と同じだった、という場合もあるけど、途中の計算が書いてあれば、それを確認することで、分かって解いているのかそうではないのかが、はっきりする。
数学の文章題や応用的な問題も、テストではできないけど、普段の学習でだったら、「どうしてこうなったのか」を説明させれば、実力のほどが知れる。
でも、国語では、そういうことができない。
なぜこの答えになったのか、それを説明できる生徒は、相当な学力があると考えていいと思う。
てらぴーも、何度かやってみたことはあるけれども、説明できる生徒はほんとに少なかった。
「本文にこう書いてあったから、この選択肢を選びました」と、一見もっともらしく答えられる生徒もいるけれども、その内容がずれていたりする。
つまり、説明が答えの理由になってない。
それはやはり、本文の理解に根差していると思う。
結局は、皆、なんとなくで解いている。
だから、国語で、90点以上取れるのならともかく、80点以下だと、本文の理解に不備があると考えていいのではないか。
分からないということのレベルは違うけれども。
かくして、国語って、考えて解いても適当に解いても同じとか言われたりする。
そうじゃないのに。分かってもらう道のりは遠い。