買い物をして感想を持つ、それは人間の特権だ
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日のレシートスクラップ。
ダイソーで、久しぶりに紙製品を買う。
サイゼリアにも行った。
よく通った三馬(みんま、金沢の地名)のサイゼリアは、この前通ったら更地になってた。
さて、もし10年前のあなたの元に、10年後のあなたが現れて「10年後のお前はこういう生活をしているよ」と伝えたとしたら、あなたはどれだけ信じられるだろうか。
今の生活は、予想していた生活とどれだけずれているだろうか。どれだけ同じだろうか。
10年経つと別人になるかもしれない。
だから、今の生活の全部は無理としても一端を、何かしらの形で記録しておくことは意義もあるし、なによりも面白い試みとなるだろう。
日々、何を買っていたのか、なんていうのがまさにそうで、何気ないものこそ残らない、けれども、後から見ると懐かしさは大きいと思う。
購入したものを全て残すことなんてできないけど、その時の感想ぐらいなら書き残せるだろう。
今はスクラップにしてるけど、写真に撮ってデジタルで残して「原本」は処分すれば、保管場所の問題もクリアーできる。
スクラップブックや紙の質感(クオリア)は失われるけど、記録は残せる。
記録に関してはいい時代になったと思う。
そのうち質感、紙の手触り感であるとか、持った時の感触、重さ、そういったものもバーチャルに再現されるかもしれない。
電子ペーパが進化して、紙のグレードを選択できるようになる。
「上質紙」「画用紙」「わら半紙」「クラフト紙」など、指定すればその紙の書き味が再現できる、そんな時代がやってくる。
それでも変わらないのは、人としての営みだろう。
買い物をする、その記録をつける、そこまではデジタルでできるだろう。
でも、その感想を書くのは人間だ。
そこで何を思ったのかは、個別具体的なことだからだ。
それさえもデジタルに、なかんずくAIに譲り渡してしまったら、人は人でなくなるのだろう。
人間に踏みとどまるためにも、頭と心を鍛えましょう。