罪悪感から初めてはいけない
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日と一昨日のレシートスクラップです。
日々のスケジュールだけでなく、生活のありようを感情を交えて書き記していくことで、自分がその時期をどのように生きたかがわかります。
何か、大きな出来事だけで、人生が形作られているのではありません。
何を食べたか、どんな風に味わったか、どこへ行って、何をしたのか。
ルーティンの繰り返しの中で、自分らしさも育まれていくのでしょう。
もちろん、何か重大な出来事で、それまでの何かがすっかり変わるということもありましょうが、何かをなくしてしみじみわかるのは、日々の生活のかけがえのなさだったりします。
もう一度、あのスペシャルなディナーを食べてみたいと思うよりも、母親の作ったおにぎりを頬張りたいと思うのではないでしょうか?
日々の生活の中にこそ、自分らしい生がある。
どんなに深遠な思想も、大胆な行動も、それを支えているのは、日々の生活です。
毎日何を食べているのか、どんなことをして過ごしているのか、何に対してどんな感情を持ち、どのような思考を育て、どんな自分になろうとしているのか。
人は誰でも、もっとこうなりたいという希望があると思います。
仮に、このままでいいと考えていたって、それは、現状維持を望むということ。
プラマイゼロの希望とも言えそうですけれども、何もしないで、現状維持はあり得ません。
現状維持にだって、なにがしかの努力は必要でしょう。
本当に何もしなかったら、落ちていくだけですから。
でも、現状維持でいいと考えている人だって、「諦めた」のではないですか?
頑張ったって報われないと思い、それならこのままでいいと「諦めた」。
であるならば、現状維持は、かつて理想を持っていたことの裏返しなのかもしれません。
ならば、もう少し、諦めないで、かつて心に秘めた理想に向かって、エネルギーを注いでみてはいかがでしょう。
「こうなりたい」の大きさが、エネルギーになりますから。
でも、注意して欲しいのは、現状の否定からスタートしないことです。
いまの状態がダメだから、悪いから、自分には何か足りないものがあるから、だから夢を描いて頑張る、というのは、しかし、スタートラインが否定なので、改めた方が良さそうです。
持つべきものは、向上心のみ。
くれぐれも、罪悪感から始めてはなりません。
自分はダメだ、自分には悪いところがある、もしそう思っているのなら、自分を許しましょう。
しかも、それは幻想です。
育っていくどこかの段階で、他人から刷り込まれたもの。
もうそろそろ自分批判はやめて、自己肯定から始めましょう。
自己肯定を拠り所にしましょう。
長所は伸ばす、短所は許す。
短所に目を向けていると、暗くなるばかり。
そんな気持ちで日々の生活を夢の実現へとつなげていくよりも、自分には向上心があって、今でもできるけど、もっとできる自分が見たいのだ、ぐらいに考えて、もっとできる自分との出会いにときめきましょう。
何も悪くないし、誰も悪くない。
何かが原因ではないし、だれかのせいでもない。
上を向いていれば、そのうちいいことありますよ。
さっ、今日も買い物だ!