1日の内にはいろんな感情があることを受け入れましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

もうすっかり秋の気配の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

1日の内にはいろんなことがあって、自分の中をすり抜けたりとどまったりしています。

 

そんな大小さまざまなことが、自分の頭の中身やら、体の出来具合とか、心のありようなどを作っていくのでしょう。

 

どんなに齢を重ねようとも、私たちは変化のただなかにいるのです。

 

もうこれでおしまい、出来上がり、というわけにはいかないのです。

 

でもそのおかげで、いまだにいろんな自分に出会えるというわけです。

 

感情は、知らない間にどんどん変わっていき、自分を包み込みます。

 

気が付いたら、イライラしてた、ということはありませんか?

 

仕事をしているにせよ、カフェでぼんやりしているにせよ、何かの拍子にイライラしている自分に気づく。

 

あれ?なんかイラついてる?

 

そうやって、気が付けばまだましなほうで、気が付かないまま、何かにあたったり誰かに感情的に対応したりすると、お互いとても嫌な雰囲気に包まれたりします。

 

もちろんこの逆もあって、気分がいいと、自然と足取りも軽くなったり、鼻歌が出てきたり、見知らぬ人に対しても穏やかな対応がごく当たり前に出てきたりします。

 

1日を振り返ると、「何かをしていた」以上に「何らかの感情に浸っていた」ことに気がついたりします。

 

けれどもややもすると、1日をしたことの集積で終わらせる、そんな評価をしてませんか?

 

朝何時に起きて、仕事に行って、あるいはあれをしてこれをして、それから昼食を食べて、誰かにあって、しなければならないことを片付けて、あれをしてこれをして、そうして、日が暮れて夕食を食べて、それからあれをしてこれをして、そして眠りにつく。

 

できるだけ具体的に詳細に日記を書くとしたら、そんな、「やったこと」の集積になると思います。

 

でもそれらを、能面のような無表情で行ったわけではないでしょう。

 

それらの一つ一つに、感情がくっついています。

 

そして、感情はオートマチックに変化して、時には、いいえもしかしたらいつでも、私たちのパフォーマンスに影響を与えているのです。

 

何をするにしても、感情が発生します。

 

そしてその感情に、やっていることの出来具合も絡んでくるのです。

 

書店に行くと、この「感情」中でも「怒り」をおさめるための方策がテーマの本がずいぶんたくさんあります。

 

「もう怒らない」「怒りを静める方法」「なぜ人は怒るのか」「その怒りこうすればおさまりますよ」といった書名が目につくと思います。

 

現代人は、どうやら怒りを持て余しているようです。

 

怒りに限らず、感情に向き合うには、否定しないで、抱きしめることです。

 

そのような感情を抱きしめてよしよしする。

 

認めてあげる。

 

「仕方ないよね、あんなふうになったら誰でもそんな気持ちになるよね」

 

そして、その感情を味わい尽くしてみる。

 

それで消えないのなら、その感情はずいぶん深くあなたの中に居ついているのでしょう。

 

ハグして、少しづつなだめていきましょう。

 

怒りが消える、もう出ないということはありません。

 

でも、怒りがわいてきたときに、それに気づいて対処することはできるようになると思います。

 

感情に流されず、感情を引きずらず、穏やかに1日を過ごしたいものです。