手書きの際の「紙のさわり心地」、案外大切かも

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

南極で最高気温が観測された夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

どうなるんだ地球。このまま温暖化が進むのか?

 

温暖化の対策として、二酸化炭素の排出を制限しようというのがあって、その流れで原発の稼働という意見もあるようです。

 

でもね、勘違いしてます、あるいは勘違いさせられている。

 

原発二酸化炭素をあまり排出しないのは、あくまでも発電中ですから。

 

原発を一基作るのに、10年から20年ぐらいかかるそうですが、その間は、化石燃料沢山消費してます。

 

おまけに放射性廃棄物の処理、向こう10万年以上、どれくらいのエネルギーがそのために費やされるのでしょう。

 

トータルで考えて欲しい。

 

原子力、と言っても実態はただお湯を沸かしているだけですから。

 

その蒸気で発電するのって、火力と変わらない、仕組みに関しては。

 

さて、ダイソーですが、ダイソーの弱点は、ヒットしても増産されないものがあることかな。

 

特に文具系は、回転が速くしかも「あれよかったのに消えちゃった」ていうのがたくさんあります。

 

ダイソー歴が長いほど、そんな悲哀を味わってませんか?

 

これまでは、メードインチャイナか、メードインコリアばっかりだったけど、たまに、メードインジャパンもあったりするのでうれしくなってしまう。

 

特にノート系でメードインジャパンがあると、得した気分になる。

 

紙の質が違います。

 

撫でればわかります。

 

もうね、なめらかさが違いますから。

 

メモ帳なんかだと、そこまでの品質は求められてないと思うけど、そこは日本製、プライドも技術もある。

 

「つるつる」と「がさがさ」ぐらい差がある。

 

そんな日本製のノートとかメモ帳をめでていると、この質感というか「なでる」ことって、案外大切なんじゃないかと思えてきました。

 

デジタルが進んでも、手書きは譲れないと公言しているてらぴーですが、最近の技術の進展は目覚ましく、デジタルだけど、ペンを使って書く時の紙の引っかかり具合まで再現できる電子ペーパーがお目見えしているとか。

 

それでも、書き味は実際に近づけても、紙の持つ柔らかな感触は、これはもう再現できないだろうと思うのです。

 

一口に「紙」と言っても、いろんな紙があって、ノートにしてもメモ帳にしてもコピー用紙でも厚さから白さ、手触りの滑らかな感じ、触った時のクオリア、手でページを繰るときに感じる重さ、めくりやすさ、もういろんな幅がありすぎです。

 

手帳のページを繰る、本のページをめくる、紙をぴらぴらさせる、さらには、紙を折ったり、時にはくしゃくしゃと丸めたりする、その感触は、デジタルでは味わえないものでしょう。

 

再現さえできないのではないか。

 

ていうか、わざわざ再現しないと思います。

 

デジタルペンで、太さとか色は指定できても、紙質を「わら半紙」か「コピー用紙」か「画用紙」か選べるなんて方向に発展するとは思えません。

 

仮にそれが選択できるようになったとしても、それは書き味にとどまるでしょう。

 

どんなに電子ペーパーが「手書き」に近づいても、モニターというかスクリーンそのものは、つるつるの無機質のディスプレイでしょうから。

 

手で撫でて、触って、めくってみて、その感触を楽しめるのは、紙ならでは。

 

「紙に手書き」は、廃れることはないのです。