手帳に向き合うというのが、マインドフルネス
こんにちは。
てらぴーだよ。
終日雨の日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
手帳に向かうということは、どのような行為なのでしょうか?
単なる記録から離れて、自分が感じたこと考えていることをあれこれ書き連ねていくと、本日ただいまの自分が表れると思います。
と言っても、すぐさま感じたことや考えたことがスラスラ出るはずもなく、頭や心にわだかまっているこの「言葉以前のかたまり」を言語化するには、それなりの鍛錬が必要なのだと言えるでしょう。
手帳であれノートであれ、はたまた野帳であれ、紙に向かうというのは、自分の内面へと降りていくことなのです。
マインドフルネスというのが流行ってますけど、心を落ち着けて自分の中から湧き上がってくるものと対するという面があるように思います。
せわしなく頭も体も心まで外部の何かに没頭していると、内側には注意が向きません。
ラジオを聴きながらお勉強はできないように、何かに気を取られつつ自分の内側からの声には反応できないのです。
自分が今日1日何を感じたのか、どんなことを考えたのか、気になっていることは何か、明らかにしたいことはどんなことか。
自分の内側の人が自分に訴えたいことがあるのに、それに気がつかないでいると、様々な「異変」となって表れることがあります。
体の不調には、メッセージが隠れているのです。
それは単純に体の不調であることもありますが、時には心のバランスが崩れて何とかしてほしいと訴えていることだってあるのです。
頭痛がいい例です。
頭痛は病気ではないのだと言います。なので、痛みを抑えても解決にはならない。
原因はたいてい頭にはありません。
生活のどこかに潜んでいます。
何かが「自分らしくない」、そのアンバランスが頭痛となって表れているのです。
探るべきはその「自分らしくない」何かのほうでしょう。
そのためにも、普段の自分をしっかりモニターしておいたほうがいいことは言うまでもありません。
普段の様子がはっきりつかめていれば、その崩れとか方向違いは、どんなにささやかでも、発見できるでしょう。
昨日とほとんど同じご飯を食べているのに、なんだか今日はおいしく感じない、そんなところから、心の不調を探ることができます。
よく眠れたか、ご飯はおいしいか、コーヒー好きなら、いつも飲むコーヒーをいつものように味わえたか、体の動きはどうか、歩く時の体の動きとか手足の動かしやすさはどうか、目や耳の感覚におかしなところはないか、これといった原因がないのにイライラしていないか。
要は、普段の自分と比べて何か違和感はないか、昨日の自分と今日の自分を重ねたときにぴったりと重なるか、何かずれはないか、そんなところから、違和感を探せるでしょう。
自分でも知らない間に、自分の中の深いところで「我慢」とかしているかもしれません。
手帳に向かって今日のことを考えるというのは、まさに自分と向き合うことです。
タスクを書いてチェックを入れておしまいにするなんて、もったいないですよ。